どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa
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各巻の副題は以下の通り。
第1卷 神がそれを望んでおられる
第2巻 イスラムの反撃
第3巻 獅子心王リチャード
第4巻 十字軍の黄昏
合計8回の十字軍がでかけたのですが、第1巻で、第1次、第2巻では第2次、第3巻では第3から第5まで、残りは第4巻で描がかれます。
神というのはもちろんカトリックにとっての「神」、唯一絶対に正しい・・、しかし迎え撃つイスラムにもアラーが、ですから戦いには終わりがないのかもしれない。
「今も形を変えて続いてるのかなー」と感じますね。怖い怖い、てーださんとこ。やっぱり弱虫のおれにはセンソーあかんわ。
それはさておき、気になることをかいておきますね。
戦争の前進過程では「突撃隊」がもてはやされる。ナチスの突撃隊・隊長エルンストレーム、明治の「クーデター」西軍のトップは大村益次郎、十字軍では、騎士団がそれ。
超過激だったのは「聖堂(テンプル)騎士団」、医療活動にもたけていた「病院騎士団」、もう1つは聖トーマス騎士団とチュートン騎士団。それぞれ終戦後の扱いがまったくことなっている。

3つ目の騎士団2つは、北海に近い北ヨーロッパ地方を征服してキリスト教化するという新たな仕事を見つけて生き延びる。
病院騎士団は、キプロス島とクレタ島近くの海に浮かぶロードス島(ここがロドスだ)に目をつけて、診療所建設に取り組んだ。ベネツィア共和国からも資金をひきだすなど、「経済合理性にたけた戦争屋」らしく、パランス良く生き延びた。
その後も、組織名称をロードス騎士団と変更して、イスラムの船とみれば襲い掛かる海賊に変身して生き延びたらしい。
しかし、「聖堂(テンプル)騎士団」の最期は悲惨極まりない。キプロス進行に失敗してフランスにもどった頃には、異端裁判所でさばかれ、隊長以下火あぶりの刑に処せられる。ナチスの突撃隊に似た末路かな。企業で言えば営業部隊の隊長などが晩年は冷や飯食って、総務や経理肌が会社の経営を取り仕切るのに似て居る。
イラク戦争になっても命令系統がローマ法王から北米政権にかわっただけで、あいかわらず十字軍的発想の「米英ナトーその他」の軍隊が世界の警察的動きを続けている。仏・独は多少は敗北の経験から学んでいるようだが。安倍はトランプの言いなり
戦争と平和再考、1960年代の新左翼(再建ブントとサンパ全学連、全共闘)運動、明治維新の誤りの総括を進めたくて読み始めましたが、1980年代・・・・・・・・・・についても一定のひらめきをいただきました。塩野ななみ様ありがとうございます。84才、まだまだこれからの活躍を期待しております。
次は、『わが友マキャベリ』読もうかな?



# by issei_tachikawa | 2019-02-18 19:22 | 国際政治(歴史、原理、批評) | Comments(0)

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高齢化が進んで就労人口は減り、石を投げれば・・に当たる社会になる。10年後には村町の半数はなくなる。(限界集落)
福祉事業が脚光をあびる。
これに関して明るいイメージをもちたいものだ。
高齢者用集合住宅、特養、老健、老人ホーム、サ高住、パルシステム東京では昨年からサ高住に関する論議が進んでいる。賛否両論あるが、提案する側に「がんばれ!」っていいたいな。
新規事業提案について特に何が必要なのか?
1つ、成功事例の調査研究
2つ、入居者のターゲット、絞り込み(収入算出)
3つ、福祉社会についての明るいイメージ
3つめからいきましょう。100歳以上が夢ではなくなりつつあります。死の直前まで健康で活躍していた人の元気の秘密を調べきること。おもろい事例がわんさとあるはずですよ。
例えば、泉重千代、木村次郎衛門、日野原重明、きんさんぎんさん(の娘さんたち)、いっせー(これは冗談)
長寿男女とも日本一の長野県の、ある村に絞り込んで調べてみてもおもしろい。もちろん山梨県の譲原とか、女の方が長生きなんて思いこんでいると、ぎゃふんとする結果が出る場合もある。(『日本の長寿村・短命村』)
生協は、元気で年をとっている組合員がまとまって人生楽しみながらあのように行ける場づくりにも経営資源をとうにゅうしてはいかがかなー、と思う。
1つめですが、手元に資料があるのは、オレンジコープ、ケアタウン小平、ふるさとの会、2005年から2007年にかけて、チャンプルーの会で他にもいくつか調査したことがあります。ちょうどけやき台団地建替え委員会ができるとこだったと記憶しています。
2つめ、今提案されているサ高住、25万円も毎月かかるのでは、いったい誰が入れるのという気がします。年金で暮らせるくらいの生活費でないとね。10万から13万がせいぜいではないかな。
集合住宅の1階は共同スペース。銭湯、コミカフェ、食堂、カラオケ、映画会、健康麻雀・囲碁・将棋・花札・トランプなどの遊技場、アトリエ(絵画、焼き物、創作活動)医療スタッフ駐在所、図書館、多世代(こども、高齢者、男女、他民族)交流スペースなどなど。2階から上は個人または家族単位の居室にするとよい。
地域の人も、ここの施設を利用できるようにする。地域に開かれたコミカフェ、銭湯も地域に開かれている。
食堂、コミカフェなどで使う食材はパルシステムから「福祉価格」で購入できればさいこうだな。
居住者の組合員、ご近所の組合員が、自慢の料理をコミカフェや食堂で披露できると良い。ボランテイア?には依存しない方が良いかな。
イベントとして面白いのは、例えば、生前葬とかね。
死生観、善悪、政治的文化、動物と一緒、根本的に文化革命していければ楽しい。
庭では、サっカー、グランドゴルフ、わざわざ金使って遠くまでいくよりも、身近で楽しめればさいこーだね。このような場づくりのために、パルシステムはなにができるだろうか。
★★★グリーンコープの福祉活動基金、BIGISSUEの基金、調査はすすんでいるのでしょうか?

# by issei_tachikawa | 2019-02-16 22:30 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)
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精密な読書感想文ではありません。これは1964年くらいから1985年までの「戦争」体験と重ね合わせた読書感想文、塩野さんに寄り添いたい人は自分で読んでね。
3つの感想、1つめ:これは上から目線の戦争史だなー。参加した兵士たち、傷つき逃げまくっていた兵士、手柄話、兵站になった庶民の意識と行動などは、描きづらい、というか、文節的な思考になじまない「先住民」の意識と行動を描くためには、書き手の想像力がものをいうのではないか。「想像力が権力を取る。」(リィマジナション ナラッシュ ル・プブワール、フランス語)1968年5月革命(パリ)のトイレの落書き、プロテストソング(泥棒警察)
2つめ、戦争史を紐解きたいという欲望は、二度とやらないぜ、やらせないぜという決意と行動の「メダルの表裏」(吉本)だと思う。1960年代からの自己史、新左翼の「ブント」(革命の通達⇒◎戦、第7回大会まで)の総括、1970年代の「ベトナム解放=民族独立戦争(ゲリラ&正規軍戦争)、1970年代から1985年までの「一坪共有」運動などにからむ「ウチゲバ」、これを「今を変える行動」つづけながらやりきることに「喜びを感じる」。
3つめ、日本の政治的文化、社会的な文化では、「自慢話」が否定的にしか取り上げられないのに比べて、(今やっているNPO活動=さんきゅうハウスも本質同じ)ヨーロッパの「カトリック」や「イスラム」は、2つの「神」(双方が一神教)が激突するので、死生観が全く違うのだなー。タタカイを、戦争を美しく飾り立てる、しかし実際の戦闘過程っていうのは、兵士の募集から参戦動機、継続の動力などは、かなり「えぐい」ものだったのではあるまいか?
ベトナム戦争で派遣された55万人(アバウト)と44万人の脱走兵、明治のクーデター、など日本がらみの戦争史では、「エコノミックアニマル」たちの動きが、兵站を保障してきたに違いない。(しかし、動物に悪い言葉だなー、「打算的な経済人」としてはどうか?)ベネチアなど今のイタリア(昔ローマ帝国)諸都市の参戦、おおもうけとベトナム特需。
おっと、もう3時カー、昨日のカフェ、ケテイさんの「おまかせセット」、メンチはソースも醤油もなにも要らないで絶妙のあじつけだったなー。ごちそうさま。
あと、アパッチのところにダメ連の取材(インターネット実況中継)が入るんだってさ。インタビューアーは、ぺぺちゃんと・・・・くん。


# by issei_tachikawa | 2019-02-15 02:58 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)
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予告!3月3日(日)2時から、さんきゅう寺子屋で、「母性と息子」(仮題)について、江川清さんの話を聞きます。
彼は、年金+生活保護で暮らすOBです。67才?彼について詳しくは、『のんびる』2016年11月号(?)で特集されました。
彼らしさは、ひとことでいえば、「路上体験を前向きに(プラスで)ふり返っている。」ことです。
河原で暮らした時は、1日インスタント(カップではない!)ラーメン1つだけだったことも。80kgあった体重も50kℊ台に減ってしまい、リュウマチで右手のひらがうごかなくなってしまった。
でも彼はこの境遇に敗けなかった。社協のちょこっとボランテイアをまめにこなし、ヒューマンライブラリィの「本」として、今やレギュラーとして大活躍中でした。
それがボランテイアに向かう途中の自転車事故で右大腿骨骨折、まだ入院中なのです。
彼の「生きる」を支える、希望の芽、生きがいの柱は何なのか?
路上生活での「仲間」との出会い、さんきゅうハウスとの出会い、母の世話をしながらかんがえたことなど、思いっきり話していただきます。2月中には退院されます。
申し込みはいっせーまで。FB、メール、携帯なんでもOK。

# by issei_tachikawa | 2019-02-13 12:39 | さんきゅう寺子屋(BAKA大改め) | Comments(0)

自分史1964から1968年3月

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2019年2月10日、さんきゅうカフェで、飯館村支援のみそづくりがおこなわれた。参加メンバーの表情、多種多様性に驚かされる。同時代の同時間・同空間を共有している「仲間」というのも、このようなものなのだろう。(・・・か?は不要)
写真撮ってくれたのは、濱田さん(『のんびる』編集部のライター、いや!彼は小説家というほうが彼に相応しい)もいれたら、まさに多様性の宝庫に「さんきゅうハウス」はなってしまっていると感じました。だから楽しい、これぞ豊かさの基盤ではないかなー。
濱田君との会話、実にわくわくした。ゼンキョートーインタビューアゲイン(最初は1990年代?)やるそうだ。
でるのはOKなんですが、よくよく考えてみると、厳密にいうとおれは「いわゆる」全キョーとではない。
それは、1968年からエスカレートする「暴力革命」=新左翼の主な部分がこころざした独特の理論・思想で「武装」された党派的な学生運動と交差する、ちょっとちがうのだが内実はつながっていて、今の「新しき公共」(以前のシールズ)のような運動が「ベヘイレン」や「こーかい」、または社共日和見=改良主義路線として、なんじゃくのそしりをまぬがれなかった。
だから、おれみたいな「ぼんぼん」は、1968年5月のパリの5月革命に連帯する「ぜんきょーとー」運動からはすれ落ちていたのです。
(これには再建BUNTの第7回大会には参加できなかった事実が大きく反映している)
あと、団塊世代というのは、今日亡くなった堺屋太一さんの造語だが、これも厳密にいえば、1947年から1948年(昭和22年から24年くらいまでに生まれた)世代をさうのだとすれば、おれは1946年6月14日生まれだから、団塊ではない。
これらは、おなじように、60年代の激しい学生運動へのかかわりをもったとしても、内容はかなり異なっている。
1つ、活動始めるまでの悩み方が違う。
2つ、開始するきっかけが違う。
3つ、当然準備期間も違うはず。
4つ、「挫折」の中身も
5つ、1970年代以降の生き方も違ってくる。
ここを、どうやって表現していくか。今後の課題になります。みそづくりしながら、こんなことを考えていた自分です。孤立状態でした。でも気分は楽しかった。他者の笑顔・喜捨・贈与の仕組みづくり・万物命の循環・宇宙船地球号に乗ってますからね。一人であってもつながっていられる、これって大事なことでしょ。
雨宮処凛sんがブログにあげている「生保停止されて自殺した男性(40代、立川市在住、さんきゅう関係者???)のこと気になります。
森川さんの研修、成果があってよかったですが、ぜひさんきゅうハウスにも研修にこられることをお勧めします。
「そのような」モデル、いますいます。ここは「トップ」から変わることですよ。

# by issei_tachikawa | 2019-02-11 03:15 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)