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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:イッセー心理学、行動哲学、唯身論( 93 )

孤立ではないかなー、いやそうだろう、まちがいない。今日も誰とも話さなかった、ぶっちゃけて話せる相手がいない。これって一番つらかろー。
体が今まで通り動かない、ケガ、病気、いずれも同じ。今までやっていたことができない。近所のコンビニまでも行けなくなった。これも辛い。
相方に先立たれる。子どもに先立たれる。無言館。
失恋・・・
これで四苦
八苦って言うのは?
★いけねー、カフェに行く時刻だ。出発します。またね

by issei_tachikawa | 2019-04-18 11:11 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
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「得る」という言葉は多様です。ありがたいと感じる、ありがたみに気づくことでもあります。
例えば、2005年でしたっけ?三宅島からの避難者帰島支援のとき、2週間毎日3食同じような仕出し弁当でした。野菜と芋が食いたくて、帰りの船中、自販機のポテトフライをむさぼるように食いました。あと、火山ガスのため移動はすべて車、2週間も歩くことができなかったので、帰ったらすぐに玉川上水散歩に出ました。鷹の台迄、往復3時間のウオーキング、歩けるってこんなにすてきな気持ち良い事なんだと気づきました。
次の事例は、50歳だったかな?入院手術のとき。部分麻酔が効き始める前に、頭の中で右足が延ばせないというイメージが固定してしまって、ずーっと苦しい思いでしたが、実はとうにまっすぐになっていた事には麻酔が覚めてからきづきました。
あと、一時できなくなった排泄活動が復活したときは、なんて気持ち良いのかをしみじみと味わいました。
さいごですが、2011年東電による、あの「無計画停電」の夜、まっくらの近所を散歩した時、なんて夜空が美しい事か、月があおいってかんじたのもその時でした。
そうだもう1つ追加ね。箱根の組織革新研究会参加時、3泊5日のすさまじい「研修」、風呂にも入れないで4日間過ごし、5日目に入浴した瞬間、お風呂のありがたみに気づいたことも思い出しました。
これらがすべて、貴重なホームレス体験の意味合いに関係しているように感じます。失ってみて初めて感じるありがたみですね。
家族、仲間、大切ですね。失わないうちに気づいたら、「いつもありがとう」いいあおうね。

by issei_tachikawa | 2018-10-19 22:18 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
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ぼくはマジにそう思えるのです。パル在籍中にこれらのことに気づいていたら?
1つは、失うことは得ることだと教えられたのです。書斎で本読んでいるだけだったら今の僕と同じようにこの境地(真理とはいえませんが)に到達できたかどうか?
誰から教わったのか?当事者のみなさんからです。この事実を情報化するにあたって、批判されことを想定して、本人に何度も確認しました。押し付けたわけではなく、本人がまじめにそうおもえるようにていねいに付き合いを重ねてきました。
失った事はあまりにも多い。家族(妻や子供)、仕事、健康(とくに歯、健康な血液)そして仲間、一番残念な喪失は、希望の喪失、絶望的な未来です。
でも、それで終わってしまったら本当に終わりですが、いくつになっても、どんなに厳しい環境に置かれても、ひとは変わりうるという機会や場所を、さんきゅうハウスは提供してきたのだという実感をかみしめながら書いています。
「いつもせわんなってばっかりじゃーなー、もうしわけないからカフェやるよ。」と言ってくれた英ちゃん、偶然ですがため年でした。昭和21年生まれ、団塊とは言えませんがその走りの世代は、かっての共同体的近所つながりをけいけんしている。
英ちゃんは、2年間自腹切って1人の「精神障がい者」スタッフを雇用して、月曜カフェを維持してくれました。金には代えられない貢献、天からいただいたご褒美は、国民健保・アルバイト・アパートでした。かれ、いまはハウスの近所で年金+週3バイト収入で自立生活です。
食堂での会話、「みんな失っちまってあと残ってるのは・・・、いのちだけだなー。」といって爆笑しています。
話が長くなってごめんね。つぎにいきます。
2つは、障害は可能性なんだという思いを確信に変えることができました。さんきゅうハウスのスタッフ、利用者のみなさん、自分で気づいているかどうか、また、病院などでそう診断されているかどうかは別として、何らかの「障がい」を持っているような感じが強くしています。
まるで「べてるの会」(北海道浦河市)にいるようです。ある人は、統合失調と診断されているようですが、スタッフの1人として他者の面倒見がよいことで評判です。
そのおもいやりははんぱない。友達が入院したときは、毎日お見舞いにいっていました。ぼくにはできないことです。
自分の障害と対話し、助けられながらも他者をたすけささえる毎日をすごしながら、地域協働を実践している。これも金には代えられない貢献だと思います。
3つめは、どん底でであう仲間って良いなーという実感です。8年間かかわってきて気づきました。ぼくも39歳までは、ハウスレスだったのです。ハウスだけではない、家族、仕事、貯金(通帳)、未来への展望、失っていました。
仲間はいたのですが、壮絶な孤立感を表現できないままに40歳になろうとしていました。実はちょこっとしゃべったこともあったのですが、「そんなはずないでしょ。めぐまれた家庭に育って、あなたは幸せですよ。」という反応が多かったようです。
未熟なイッセーでしたが、2005年に街頭で出会う路上生活者との付き合いが始まり、大沢さんに誘われてBIGISSUE販売者支援をはじめてから、しだいにNPO活動に深入りしていき、肩の荷が下りたり、また負荷が増えたり、「いつまでやるんだろ。」心理と戦いながらここまできました。
今の境地は、すっきりしています。
どうせやるなら気持よく、喜捨
他者の笑顔への信頼を失わない
一寸先を闇とみるか、光とみるかは自分次第
人生は自分の思い通りにしかならないようにできているのではないか
10月25日(木)さんきゅうカフェ再開します。11時オープン、ケテイさんの手料理が味わえます。ぜひおこしください。ラストオーダー4:45、おまかせ定食と自家焙煎珈琲の「おまかせセット」が800円です。

by issei_tachikawa | 2018-10-19 19:09 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
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ぱっと見,なんで?と感じる体験でも、根底で何かの赤い糸が見えることがある。真夏に思い出すことが多い。今日もそうだ。
ジンセーってタタカイだなーとしみじみ思う。これが面白いのです。小学校3年時に何と家庭教師だって!センセーはもうなくなられたんだろーなー、相方の野口君(早稲田はいったんやろ?)は見るからに優等セーだった。おやじが、カキョー付けた理由は本人からは聞いてないが、たぶん、6大学のどこかに俺をいれたかったんではないか。
ジンセー最初の戦いが始まる。相手はおやじとエリート志向の社会。
見事に脱落し、不良仲間に連帯絆をみいだした。小学校4年から中学校3年までに、世の中の「やばいこと」(犯罪⇒おなわになる)かなりやった。かつあげ、まんびき、けんか、エロ映画鑑賞、授業蜂起、集団ですでごろなどなど。
中学校1年で最初の救世主現る。長野龍哲先生と横溝正人先生、よこみぞさんからは、英語への興味(学習と表現動機)を教わった。長野さんには、野球部入部をつよくすめられた。この習慣(野球が生活の一部化する)が今でも続いている。
これで不良が治ったわけではない。試合に出向いた先で相手の番長つかまえてごろまいてくるくらいだから、野球と不良は両立していた。(とおもう)
高校になると様相が変わる。まるで軍隊なのだ。3年は神様、1年はニンソク、牛馬のごとくこきつかわれる。たまに下級生でレギュラーになったりして、にらまれて潰された人もいた。K島くん、バットで腹なぐられて、内出血し、転向余儀なくされたり。
下級生の不満が次第に鬱積していき、ついにストライキ決行!この戦いは、見事に勝利した。監督命令で主将が謝罪したのだ。
この体験、学生運動⇒社会運動にいきているように思う。戦いの原点、ひとそれぞれなのでしょうが、僕の場合はおやじ・学校・企業経営者(政府権力・警察機動隊・自衛隊については若干位相が異なっているが)を相手にして、弱気側に立って、いばってるやつらをなんとかするということらしい。
でも、弱みがある。家庭環境の違いだろうか?在日の人たち、いままでなんんかつきあってきたけれど、やたらつよい。家庭内でいじめられて育ってきた人、壮絶な孤立のなかで一人で自分を支えてきた経験が、そのひとの永遠の今(だからたたかい)をささえているようだ。
そこで、音楽、ミュージシャンたちと出会う。最初はズージャ(ニュージャズ、コルトレーン、山下洋輔トリオ)、今ではフォルクローレとアフリカの太鼓(ジェンベ)どちらも一切の権威や権力を認めない、究極の水平的な秩序、平たく言えば絶対自由を求めるエネルギーで満ちている。今日と明日は「きゃんたま」だな。あぱちゃんともながい付き合いになりそうだ。ビバ、アイヌモシリ、大地のカミ「ぱちゃまま」

by issei_tachikawa | 2018-08-26 11:20 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
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2010年暮れ大沢さん(当時立川市議)から、さんきゅうハウスに誘われてあっという間に8年の間、「違和感」とのたたかいだった。「孤立無援」といえば「ええかっこしーやね」というちゃちゃも飛びそうだが、マジに孤立感が強かった。
なんども引きこもりそうになった。(実はパルシステム連合会でも似たようなストレスはいやっていうほど味わってきて、何回もやめることを決意した。)
その理由の1つが、個人情報保護、または肖像権保護の方法についてである。
2011年「さんきゅうだより」創刊号を見ていただきたい。掲載されている写真、食堂とかお花見とかの写真、参加者の顔が「黒帯」になってるんです。
犯罪者ではない、悪いことしてるんでもない、ダダ世間の差別と偏見が強く、面が割れるといじめられたり襲撃されたり、最悪命を奪われたこともあった。だから、メデイアを製作する側は、「載せてもよろしいですか?」と確認して、許可をいただいた場合のみ掲載するべきであることは当然なのである。
がしかし、ある人に聞いてみたら、「顔隠すのは当然なのです。身を守るために。」という答えでした。その瞬間から、「情報公開の方法」を問う長い旅が始まりました。
有る年の暮れ、利用者全員(25名)アンケートを個別面談方式で実施しました。10の質問の内2つが重要でした。
1つは、メデイアに自分の顔写真やキャリアが載ることに同意できますか?
2つは、今の自分を不幸だと思いますか?
1つ目の答えに勇気づけられました。
25名中の10名の答えは掲載に肯定的で、その中でも7名は「悪いことしたんじゃないんですから、正体隠す理由なんてありませんよ。さんきゅうハウスの宣伝になるんでしたらどんどん使ってください。」と答えられました。
これで安心して『のんびる』の記事掲載が始まりました。
毎年12月に、総合福祉センターでヒューマンライブラリィ(人間図書館)をやっています。今年で5人目ですが、さんきゅうハウスからも、「図書」になってくださる方が徐々に増えています。これも活動の成果の1つだと確信しています。
反貧困、個人情報保護、これを推進していくにあったり大切なことは、「優しいまち立川」てなんなのかなーという運動目的だと思います。隠すことは1つのやりかたであり、むしろオープンMINDとクローズドまいんどを、個人自由に選べる社会が暮らしやすいのかなーと思っています。
資本主義=トランプいいなり政権の統治のやりかたは、1人1人をばらばらにして、一緒させないこと。個人情報保護法、特定機密保護法、テロ等防止法も本質はおなじです。民主の側の対抗文化は、「つながる・動く・変えていく」だと思います。
あと、質問2つめへの答えですが、回答者のほとんど全員が「ホームレス体験していま生活保護利用してること」を不幸だと感じていないことでした。
不幸と不運、彼らは運が悪かったのかもしれないが、どん底地獄を体験したこと自体は不幸ではなくて、「さんきゅうハウスと出会えてむしろよかった」と感じてくれているのではないかと思いたい。(夏祭り余韻でした)

by issei_tachikawa | 2018-08-13 09:25 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
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ナチスの宣伝相、ゲッペルスの女性秘書の独白が映画化されているらしい。
>ナチスドイツが犯した犯罪、 ユダヤ人虐殺などまいきょにいとまがありませんが、秘書の彼女は「自分に罪はない。自分だけではなく多くの人が命令に従って動いただけなのです。やらなければやられていたかもしてない。」と思っているらしい。戦争は怖いね。無謀なインパール作戦強行で10万人近い犠牲者をだした司令官(牟田口チュウショウ)でさえ、自己合理化して天寿全うだと。自分の行動には自分で責任を持つというのが、民主主義の、これからの日本だけでなく世界の普遍的哲学とするべきだと思いますが。
罪意識、感じてない人っているのですか?
どうもいるようです。例えば嘘、うそはどろぼうのはじまりなどともうしますが、さんきゅうハウスでは、いままで何回も緊急支援物資がなくなりました。
「どろぼうむら」?と感じたこともあります。勝手に持って行った人を怒鳴りつけたこともあります。
極めつけは、チョコレートとパルの予約米でした。
この人と思われる人に聞きました。「業務スーパーで買った」と答えました。嘘八百口から出まかせ。ひでーはなしですよ。こんなやろうの支援を続ける理由が、どこにあるんじゃろか?かんがえにかんがえてけつろんは、いろいろあるでした。
つまり、嘘も方便、かれはこれで生きて来てるんですね。おこったらあかん。いっしょにらんでぶーやね。
> 侍の方がましだった?とはいえませんが、明治のクーデターあたりで、日本の経済・政治・環境・地域の文化がおかしくなったようなきがしています。未だに研究中。田中優子さん(法政大学初めての女性・自前総長)の江戸研究、じっくり学んでいきます。10年後には自分なりの仮説がだせるといいな
★依存症っていうけどさー、だれでも何かに依存していきてんじゃないの?だったらさー病気扱いしてはあかんのちゃうか?


by issei_tachikawa | 2018-08-04 12:43 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)

タタカイの解釈について

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生きていること自体がタタカイなので、その事実を認識しているかいなかで、気分が違ってきます。(前向きに受け止められれば良いね。)
1つは、生物学的な意味です。
2つは、地域包摂的な意味
3つは、歴史的哲学的な意味
4つは、政治学的な意味
5つ目もありそうなのですが、今は思いつきません。

1つめ、新生細胞の誕生の理解が問われます。同様に細胞にも事故死や自然死があり、それらの中間的な死もあるそうです。要は、約60兆もの人体細胞のうち1兆個は1日で新旧入れ替わっている。癌細胞は必ず生まれてくる。その増殖を抑制する「白血球のなかのリンパ球免疫細胞」(NK=ナチュラルキラー細胞など)が普通に活動できる血液状態が維持されていれば、人体の動きは何事もなかったかの如く続いていき、100歳から120歳くらいでご臨終(寿命)となる。死は必然であり、普遍的でもあります。

2つめ、家族って何なんでしょうね。向こう三軒両隣、全部付き合ってるイッセーは異常かなー?いやいろいろあっていいんじゃろー、と思う。
3つめ、日本史では「縄文系」または「先住民アイヌモシリ」の戦いに注目せんとなー。学校で教えないのはけしからん。800年代の阿弖流為&伊沢のモレのヤマトとのタタカイ、幕末のシャクシャインのタタカイ、もうひとつあったよなー。
明治維新では長州のクーデターにやられて、日本全体が欧米化していくことになってしまった。(『のんびる』7月号の内山節さんの指摘は大変示唆に富んでいるね。)
江戸時代の文化の復活、これ自体もタタカイ必須だな。
5つめは、わかりやすいですよね。多くの人々は、ここばっかりがタタカイだと感じてるのではないか?
戦争と平和、よく考えないとなー。俺が生まれてから、というかものごごろついてから、戦争ばっかりやったなーという感じがする。なのになのに「72年間の平和・・」なんていわれると、反論したくなる。
世界のどこかで人が殺されていたし、いまでもそうだ。やはりタタカイは必須なのですね。三里塚のよねばあいわく、「いままでたのしいことなんかなかったけれど、ここでのたたかいは楽しかった。」って。負け惜しみじゃーねーと思うよ。
正義の怒り、鈍感にならないように、毎日感受性の先端を研ぎながら、かな。安倍にあんなことやられて感じなくなったら終わりだよね。腹をくくるべし。小栗上野拝

by issei_tachikawa | 2018-07-03 20:23 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
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比較するってことはもしかすると西欧キリスト教文化の悪しき特徴なのかもしれないな、とおもいませんか。
セイが高い、スリム、八頭身と自分を比べてしまう。
肌の色でも比べる。
何かにつけて数値で判断する。基準値とか平均値を算出して、ずれているとやれ肥満だとかやせすぎとか、何とか予備軍とかいって脅迫する。
文法までそうなってるぜ。原級、比較級、最上級とかね。トール、トーラー、トーレストなんてつめこまされながら、比較するという日常を刷り込まれてきた。
いつごろからかなー、これはやばいぜ、なんとかせね場と感じ始めた。
アンデス(ボリビアが多い)バンドとの付き合いが良いきっかけになったとおもう。「カルカスのやつらとのんでるとき、きっとでっかいんだろうなーと思っていて、じゃーていってわかれしなにみんなたったら、みんなちびじゃん、おどろいたよ。おどろいたよ。かおだけ大男なんだな。」(河本さん、グルーポ・カンタティ主宰)
これきいたときに、すこし違和感を感じた。背が高くて、スリムで、鼻が高くてほりがふかい、めもとぱっちりを理想化していて語っているようにかんじたのさ。いや、かれがそうだっていうんではないよ、そうかんじたという話ね。
南米に限らず、アジア、アフリカ、中東、エスキモーとか日本以外の国では、やはり「比較」ってのは、当然の心理的営みになってるんじゃろか?
それとくっついてくる文化は「整理・整頓」だな。小学校の運動会、いやだったなー、朝礼も大嫌いだった。「なんで背の順に並ばせるんよ。」オーストラリアで子育ちしてる友人に聞いたら、向こうではらばらが通常なんだってさ。少し安心したぜ。列もユガンデイテオーケー、いやそもそもまーっすぐに並ばせるのが良いという文化がないらしい。
比較・整理・整頓がない文化、あるんだよ。希望をもって進もうね。先住民インターナショナルはたたかい続けます。国内連帯の相手は、アイヌモシリ、りゅうきゅうの民衆、サンカの人々、明治維新をやり直すべきとかんがえているひと、安倍を倒したいと切に願っている「市民が野党と手を組み」グループの人々などなど。
「小異は残して大道につきませう」(先住民インター、砂川事務局)

by issei_tachikawa | 2018-05-23 10:09 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
日本ってのは島国で、物理的に侵略してもほとんどその国土自体には使用価値がないのだが、今のアメリカ軍にとっては、かっての朝鮮戦争でそうだったように、国連軍の名を語る北米軍(現代のキリスト教十字軍)世界戦略実現のためには、なかなか手放せないようだ。日米地位協定がいまだに有効である理由を考えていくと、今の世界の取引関係の実態がおぼれげながらにわかってきます。
さて、どんな点で例外国なのか?
1つ、アメリカ軍は日本のどこにでも軍事基地をつくれる。フイリピン、エクアドル、ドイツ、イラクでさえ「協定」を変更したのに。
2つ、首都(東京)羽田から離着陸する民間飛行機は、「横田基地空域」に押されて、操縦士に危険きわまりない経路選択を強いています。羽田の管制塔労働者も大変でしょう。取らんぷう大統領が羽田からではなくて、横田から日本に来たのは、そういうことだったのでしょう。
3つ、自民党(保守)政権が(途中若干連立もあったが)約50年も続き、民主党が生まれたのち、今度は「日本会議」という国粋主義的団体の国会議員が増えている。平和憲法壊されるか守れるか正念場。安倍政権は、まったくの違憲政権、憲法論じる資格なし。
4つ、小学校朝礼とか運動会で、背高のっぽは後ろに、背の低い人は前に並ばせられる。なんと健康診断で「座高」測ってるところも残っているらしい!(これ指摘してもピンとこない人は、オーストラリアなど他国の事例と比べてみると良いです。)
5つ、「めだちたがり」というのがマイナスイメージで伝わっている。アフリカに行ってみてくれといいたい。
6つ、ハーフという言葉も実に奇妙です。父さんアメリカ人、母さん日本人だと、素直に2つの血が合わさっていると考えれば、「ダブル」が正解でしょう。なのにハーフとされてしまっているのは、万世一系天皇主義、大和史観教育の結果でしょう。改めて「先住民インターナショナル」の立場から問題提起したいです。ビバ、ボリビア!
7つ、何かというとマスコミが話題にする政治家やタレントの不倫ですが、これもなー、これだけ話題になってんのは日本だけではないか?
8つ、一国の首相が、「忖度新聞に書いてあるかラ読みなさい。」と言ってすまされる国。嘘ばっかしの国税庁長官佐川、それを出世させた安倍内閣
まだまだ出てきますが、今日はこの辺で。
今日のカフェシェフは、みやちゃん(きよし)です。今日のメニューは、カレーうどん、マカロニサラダ、酵素玄米おにぎりでーす。ぼくは12時頃カフェにつきます。

by issei_tachikawa | 2018-02-08 11:23 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
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目くそ鼻くそ、呉越同舟、同じ穴のムジナ、日本の政治社会文化状況考察にあたり改めて日本国憲法の存在意義と中身を問う。
ちゃんと読もうね。慌てることないからさ。ちゃんと勉強しながら語リア王。(面白いので未転換、あえて)
13条味わい深いね。すべて国民は個人として尊重される。日本会議案では個人が人間になっている。これはなかなかわかりづらいよ。騙される人が多いと思う。
この提案に反対するのはなかなか大変かと思う。おれは1968年3月に立ち返りながら、考える。当時のおれは、組織から抜けつつありながら、自分の正当性を胸張って説明できなかった。ヌケニン意識で何十年間も悩まされてきた。
でも今では自己対象化と社会の認識が進んで、次のように言い切れるようになってきた。
インデヴィジュアリズム、つまりイン・デバイド=これ以上は分割しえない存在のことを個人と呼び、その幸せ(実に主観的なのだ!)を基盤に国民生活の運営を考えるための憲法が日本国憲法だということ。
ところが日本会議に集まるインテリたちは、日常生活を個人単位だけで享受している日本人と在日が気に入らないらしい。
極論を突きつけるのだ。「攻められたときにどうすんのよ?」と。「まとまらないとやられちゃうよ。」という強迫もうまい。先日の北朝鮮ミサイルJアラート攻撃は、何から何への攻撃だったのか、冷静に分析評価してみると面白い。
一般論が出回る時代というのは、世の中が大きく変化していることの象徴だといわれる。中世から近世に至る、キリスト教世界の内ゲバとルネッサンス、1980年代の「生協論争」ほかにもたくさんある。
一般論で論議のテーマになることはとうに結果が出ていて、「ミネルバのフクロウ」の教訓を示しているだけなのに、評論家たちはあーでもないこーでもないと論争する。
今回の衆議員議員選挙の振り返りコメントがその一例である。
このかったるい一般論から脱出するには何が求められているのか。
真逆の「個別現実論」⇒「永遠の現場感覚から発信される」意見に従うのが良いであろう。いやー、18歳くらいから社会に係って今71歳だから、約50年も動き考えてきて、まだまだやなーとかんじる今日この頃であります。
ほんまの日本がわからない日本会議に、もう政治は任せられません。今回の選挙の大切な教訓であります。西郷南洲、大川同志、山本同志、小栗同志に魂で連帯いたしております。アメリカ軍の世界戦略防衛のために日本国の自衛隊を勝手に使うことなかれ!
右か左か、左翼か右翼か、保守か革新か、ではなくて、本当のナショナル、真実のリベラルがもとめられているような気がしています。今の安倍政権は自由民主の政権ではありません。運営主体は「日本会議」です。それに反対する野党の1つ、人気がたかまっているのが「立憲民主党」であるという事実に隠された真理に、みなさまの想像力・インテリジェンスが心ときめきますように。祈りながら

by issei_tachikawa | 2017-10-25 14:56 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)