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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:自分史(1946-2066)( 61 )


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要はおやじからの引継なんです。僕は特定政党とか特定宗教に加担する気は一切ないのですが、この宗派は、おやじから引き継いだものなので、親孝行のイッセーはおやじを裏切れないので毎年1回の「教霊殿祭」にはかかさず顔を出して、信徒の皆さんと健康をお祝いし、再会を祝しているのです。
僕の兄弟は12人いるのに、通うのは僕1人といとこの時子だけです。
77才、独身、まだまだこれからみたいだよ。ロスしてないからというと他の人に悪いかもしれませんが、なにしろ彼女の精神性はピュアーですよ。
今日も驚いたことあり。
「比例区はれいわ、東京選挙区は立憲の女性」にいれたんですって。彼女曰く「日本はくずれてますね。今までの政治に何も期待できない。いやそもそも、人間がつくる組織ですから、個人は信用できても組織なんて必ずうそをつきまくる。間違い犯しても誤れない。もううんざり、何が民主主義でしょうか?」というのが彼女の訴え。
アイシンクソーだね。
おれも1968年3月のブント第7回大会での分裂劇、その後の荒、仲井、松井、太田竜、岩田弘などからのオルグのすべてに「新左翼的革命運動」の限界を直観して、「個人」でたたかうことを決めてからの放浪12年、1980年の光州蜂起、三里塚一坪共有化運動に連帯して活動に復帰するまで、12年近い「ひきこもり」的な人生を楽しませてもらいました。
ときちゃんは今日、昼飯時に「日の御教」の目的をメモして、僕にくれました。彼女はここで活動することが、人々の幸せに貢献できると信じています。
8月4日にイベントにも誘われましたが、ぼくはぼけ丸ライブなので行けないと言いました。
おやじは、これくらいの付き合いで納得してくれるかなー?考えたのですが、答えはクリアなのです。
「かずまさ、おまえのすきなようにやれよ。」
ありがとう!おやじ、やさしいなー、あいてーよ、のもうぜあの世で。
★昨日の夜に、西国の実家で、長男夫婦と楽しい会話しました。まるで、山尾三省と長男30歳時の対談みたいにおもしろかったよ。
「じんせーって後半はダントツに面白いんだぜ。」みんなでたのしもうぜ!



by issei_tachikawa | 2019-07-28 19:23 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)

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まめ吉で『星の王子様』を読みました。(ただし37頁迄ね)10:00過ぎて、何気なくイーチャン付けてみたら、何とか民族(北アフリカ?のどこかの国の少数民族)の「活動家」がコメントしている。なんとなく彼の話に引き釣り込まれて、ついにおしまいまで見てしまいました。
その番組には他の国の少数民族の「活動家」も出てきます。アバウトな紹介ね。例えばチベットの少数民族の活動家。50代?男性、カラマルカのリードボーカルにようにとる。(アイマラ族)
あとは、ガテマラの先住民、フィンランドの先住民、などなど。彼らに共通する関心事は、『星の王子様』との出会い、自分の言語での翻訳活動、先住民の子供・大人への教育活動をつづけていることです。
当然弾圧される。軍事政権下の中米(エルサルバドル)では、スペイン語使用が強制されていたから、子供に教える場合は誰にも見られていない、聞かれていないことを十分確認してから授業入る。
孤立無援で戦っていた彼らが『星の王子様』(のサンテジュグベリ)になんでひかれたんだろ?わかりますか?ぼくにはその気持ち、感じ取れました。
それから一晩たって、朝目覚めたら、『たべられちゃったお月さま』(1985年10月に出た『土曜日の午後』を思い出しました。
昨日テレビに出ていた先住民の「活動家」のこと、北海道に移住する「アパッチ」のこと、アンデスの音楽仲間(アイマラ族、ケチュア族など)の顔など思い出してベットにすわっていましたら、おかみさんが来たんです。
改めてその話をしながら、出会った当時の「孤立と連帯」について思いをはせるのでした。「食べられちゃったお月さま」いっきによみなおしたよ。

by issei_tachikawa | 2019-04-20 11:22 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)

自分史1964から1968年3月

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2019年2月10日、さんきゅうカフェで、飯館村支援のみそづくりがおこなわれた。参加メンバーの表情、多種多様性に驚かされる。同時代の同時間・同空間を共有している「仲間」というのも、このようなものなのだろう。(・・・か?は不要)
写真撮ってくれたのは、濱田さん(『のんびる』編集部のライター、いや!彼は小説家というほうが彼に相応しい)もいれたら、まさに多様性の宝庫に「さんきゅうハウス」はなってしまっていると感じました。だから楽しい、これぞ豊かさの基盤ではないかなー。
濱田君との会話、実にわくわくした。ゼンキョートーインタビューアゲイン(最初は1990年代?)やるそうだ。
でるのはOKなんですが、よくよく考えてみると、厳密にいうとおれは「いわゆる」全キョーとではない。
それは、1968年からエスカレートする「暴力革命」=新左翼の主な部分がこころざした独特の理論・思想で「武装」された党派的な学生運動と交差する、ちょっとちがうのだが内実はつながっていて、今の「新しき公共」(以前のシールズ)のような運動が「ベヘイレン」や「こーかい」、または社共日和見=改良主義路線として、なんじゃくのそしりをまぬがれなかった。
だから、おれみたいな「ぼんぼん」は、1968年5月のパリの5月革命に連帯する「ぜんきょーとー」運動からはすれ落ちていたのです。
(これには再建BUNTの第7回大会には参加できなかった事実が大きく反映している)
あと、団塊世代というのは、今日亡くなった堺屋太一さんの造語だが、これも厳密にいえば、1947年から1948年(昭和22年から24年くらいまでに生まれた)世代をさうのだとすれば、おれは1946年6月14日生まれだから、団塊ではない。
これらは、おなじように、60年代の激しい学生運動へのかかわりをもったとしても、内容はかなり異なっている。
1つ、活動始めるまでの悩み方が違う。
2つ、開始するきっかけが違う。
3つ、当然準備期間も違うはず。
4つ、「挫折」の中身も
5つ、1970年代以降の生き方も違ってくる。
ここを、どうやって表現していくか。今後の課題になります。みそづくりしながら、こんなことを考えていた自分です。孤立状態でした。でも気分は楽しかった。他者の笑顔・喜捨・贈与の仕組みづくり・万物命の循環・宇宙船地球号に乗ってますからね。一人であってもつながっていられる、これって大事なことでしょ。
雨宮処凛sんがブログにあげている「生保停止されて自殺した男性(40代、立川市在住、さんきゅう関係者???)のこと気になります。
森川さんの研修、成果があってよかったですが、ぜひさんきゅうハウスにも研修にこられることをお勧めします。
「そのような」モデル、いますいます。ここは「トップ」から変わることですよ。

by issei_tachikawa | 2019-02-11 03:15 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)
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生きづらさという言葉、1950年代にはなかった。1960年代にもマスコミや市中では流通していなかった。
では「いきづらさ」を抱えていた人はいなかったのか?それはないだろう。自分できづかなかった1人として、50年以上たってから発言させてもらいます。
おれだってかかえてたんだぜ、なんとなくもやもやをね。
例えば、小学校3年生時、家庭教師を付けられた。センセーは隣町瀬田小の須藤さん、二子玉川小の須藤センセーの弟さんだったとおもう。お世話になりました。
それはそれで、ありがたいことなのですが、一緒に学んだ人がNくん、どっからみても秀才の雰囲気、その後フォローしてませんが、早慶東大に行ってもおかしくないくらいの成績だったらしい。あくまでらしいということ。
比べてぼくは勉強は授業にでているときだけ、あとは野山駆けまわったり、べーごま、めんこ、かいぼり、おいしゃさんごっこ、とらんぷ(自分で作る)、かっぱらい(といっても畑の作物とか静嘉堂文庫の柿や栗を盗むだけ)などなど。
ようは「なんで学校以外の勉強をしなくてはいけないのか?」まったくわかりませんでした。だったら、おやじにいえばよかったんだよね。
でも逆らえませんでした。我が家では絶対君主、こわいこわい、さからうとなぐられそう。じっさい、あることで叱られて、いうこときかなかったら、火鉢のはしにあたまおさえつけられたり、どなられたりもしました。当時おやじは、70歳にならんとしていたはずです。
結局、僕は他のこともあって、だんだんと勉強に意欲をうしなっていきました。なのに、おれの内面に気づかなっかった母とTくんの母さんとの会話が聞こえてしまった。学校の運動場でのこと。
「おたくのおこさんよくできますね。てまかからなくてうらやましい。」
「はい、すなおでよく勉強してくれるんでたすかります。」
いやー!この時に感じた違和感、まだ消えませんよ。
おれは、勉強なんてしていない。人に差をつけて、自分だけ良い思いするのは嫌だ。中学だってなんでみんな瀬田中にいかないのか?
そのうち4年からは悪ガキのグループの「妙な水平思考」(本来の平等ではないということに気づくのはずーっとあとになってから)に惹かれて、学校の成績がだんだんおちてゆくことに快感を感じていました。
教師にはことごとく逆らいました。運動会でのラジオ体操は逆に、音楽の時間はわざとリズムをはずし、授業放棄(多摩川でソフト)、中学に入るとさらに悪ドは高くなります。すべての担任に殴られた日本人、ほかにいるでしょうか?(続く)

by issei_tachikawa | 2019-02-09 13:48 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)
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崎山さん、鳶の親方だった。小笠原建設に日雇いでお世話んなってたときに、なんと正月にMさんの「追求」から逃げて、彼の西川口のアパートにしけこんだ。
酒飲みながらの新年。かれは年賀状を見せてくれる。おれはだれともつきあってなかったから、ゼロ、かれは1枚。
1枚かゼロか、世間から見れば大差ないのかもしれないが、崎山さんが、自慢げにおれにみせる。見てみたら、なんや、行きつけの飲み屋のおかみからの、義理状やん。
でもおれはうらやましかった。
あれから何十年?立川でのお正月、33年目、年賀状はこちらからは出していませんが、毎年いただいて、お返事は出しています。
インターネットもいいが、直筆のよさも捨てがたい。今年は、40人の方からいただきました。まだ返事出していません。時間かかるよ。なぜか?
1人1人の顔思い浮かべながら、年賀状にこちらの現状報告書いてだすので、ぜんぶおわるのは1月末かなー。
とりあえず分類してみる。親戚6枚、おさななじみ1枚、フォルクローレ関係4枚、さんきゅうハウス関係8枚、熊野寮関係3枚、パルシステムつながり18枚、ごわさんでねがいましては、40人の方のメッセージが込められています。
むかし、喜久雄兄さんが70代の頃、200枚くらいの賀状が届くときいて、いやーとかんじいったことがある。彼は200、当時のおれはゼロ!
今の心境はどうか?答えは、かんけーねーです。
つまり毎年いただく年賀状の枚数とかを比べてどうのこうのは、すべて「比較検討、分析評価」という欧米の文化に由来するのではないかと思えるのです。
日本は日本、東京立川は立川、砂川は砂川の伝統文化がある。
鉄壁の答え、アパッチが3月にアイヌモシリに引っ越す。この行動を、心の奥底から祝したいと思う。いきなりですみませんが、よっぱらってきました。世界中の先住民のみなさん、沖縄の辺野古に米軍基地をつくらせないで!このたたかいに支援の輪を!カンタミディーエラケスボリビア、カンタミデイオーサパーチャマーマー

by issei_tachikawa | 2019-01-03 15:24 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)
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2010年暮れに大沢さんに誘われて係り始めた「さんきゅうハウス」8年目、あっという間でした。理事長になってから2年がたとうとしています。
正直、くそ忙しい。それがパル連でセカンドステージ事業やっていた時に比べても、今の方が働いてるような気がします。「24時間365日稼働」と冗談いってますが、マジ(事実)です。
毎日が日曜日なのに、毎日が「なにおきるかわからない」ので「消防署で待機職員」みたいなのがさんきゅうハウスでした。
なのに全く疲れを感じないのはなぜか?答えは3つ、1つは、金のために働いているのではない、自分の熱意が今をささえているから。熱意=自己救済ともいえます。2つは、誰にも使われていない。自分で問題に直面し、解決策を考えて、金もそこそこふたんして、自分らで実行してきた。だから疲れもやりがいに変わってしまってたんではないかなーとおもいます。でも、このタタカイは、自分だけで支えていたのではないな。3つは、家族の力、パルシステムと地域力がものをいってきました。おかみさんもカフェにまきこんでしまって、ケテイさん、みえ子さん、あい子さん、youkoさん、大沢豊と市政を変える会のみなさんにもきょうりょくいただき、ジーピーエス、パルブレッド、パルミートさんパルシステム東京、パルシステム連合会からも多大な協力をいただきながらここまでこれました。まとめてで恐縮ですが、あらためて心の奥底から御礼申し上げます。(ただし、正直、スタッフの半数はパルの組合員なので、このNPOはパル自身が「経営」してきているんだともいえます。)
あと、フードドライブ、フードバンク、家事代行サービス、健康麻雀(囲碁・将棋・花札・トランプなど)では、社協のみなさま、ワーカーズコープさまとの連携協働が力になりました。市民ボランテイアのなかには、現役中に大企業の総務だったとか、地域では才能(さいの)あるミュージシャンの方もいて、楽しい出会いがたくさんありました。
それでも10月に「さんきゅうハウス」理事辞任を決意し、辞表も書きました。MLで流したので、スタッフの方には届いているはずです。反応は、シーンでした。(笑い)なんや、おれなんていてもいなくてもおんなじなんか?
普通の感覚ではこれでおしまいでしょうが、なぜか踏みとどまりました。辞任を決めた理由はなくなっていません。でも、おれをここにふみとどらせてくれた皆さんに励まされて、かれらの活動ぶりを頭に描きながら、120個もいただいたお餅のご寄付に感謝しながら新年の活動に入ります。愛と革命の道なんてね。(10年早いかも)
年末カンパもたくさんいただいて、新年を迎えようとしています。元旦は、1日の11時からIKEA入り口前の、緑町公園でお雑煮&おしるこ会です。参加自由、地域家族のつながりをたのしみませう。
きよしジュニア、だいすけ、しゅんくん、ジョージ、katsuosann、つよし、たつや、なりたん、けんちゃん、まさお、もりたん、獄中の・・・・、もろ民族解放戦線、アパ、まさる、めがみ、とおるちゃん、Sさんご夫妻、まこっちゃん、なみきょん、ぬら、KINGとあっちゃん、おかあ、しんご、のの、こうたとかのじょになってくれたあなた、さんきゅうスタッフのみなさま、三多摩フードバンク&三多摩アクションの仲間たち、そしてにしくん、きよしシニア、さんきゅうつながりのOBの皆様、じんちゃん、山本洋輔さん、イッセー通信読者の皆様、soeさんほかFBつながりの皆様、とりわけ今晩も寒い多摩川、夜空の下で寝袋にくるまり耐えている(修行されている方も1名)みなさん、2019年、いっしょに、なにやろうか?夢は野原をかけめぐり・・・アイヌーン、パチャママ、おれたちはまけない。



by issei_tachikawa | 2018-12-30 13:02 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)
・立川の米軍基地拡張に反対した理由
・ベトナム反戦闘争が「内ゲバ」になってしまった理由
・そもそも「内ゲバ」とは何か ここが難しい
・なぜ大学院に入りなおしたのか?なぜ京都だったのか?
・三里塚とのかかわり、一坪共有運動とは何か?
・日本山妙法寺、石谷上人との出会い
・「ほぴの予言」上映会の事
・1970年代の議論 生協なのか共同購入会なのか
・コミューン運動とヒッピー
・潰されていった「広場、たまり場」、つぶれた?潰された?
・日本国憲法、象徴天皇制をなぜ問わないのですか?
・づかの井戸掘り、ログハウス
・国分寺でのとろん、じゅんことの出会い、坂内はハウスとは
・先住民の運動について
・意見の違い、異文化とのつきあいかた

まだまだたくさんあったような気がしますが、とても豊かな時間でした。

by issei_tachikawa | 2018-12-11 09:11 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)
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日曜日の昼頃に府中公園に向かう。京王線府中駅の方向指示は実にわかりづらい。少し迷って府中警察前、女性の警察官が前時代的な6尺こん棒もって、警備中。・・に、つくり笑顔(でもだれにもわからない)で「府中公園」を尋ねたら、えらく親切ですぐにわかった。その時の会話。
「ありがとうございます。でもその棒はなんとなく時代錯誤的ですよねー。役に立ちますか?」
「はい役立ってますよ。」
「そうですか、でも・・」と言いかけてやめた。彼女は真面目なんですよ。市民警察だと思えばよい。レーニンのコッカクに洗脳されてから約50年たって、72歳の今ではようやく打倒対象という堅苦しい、ドグマ思考から自由になろうとしている。
暴力論、革命論を頭に抱え込みながら府中緊急派遣村の炊き出し現場に到着。めしはうまかったです!カレー、牛丼、卵焼き、大根おろし、紅生姜、スープを堪能しました。卵焼きは、松野さん(派遣村代表)の奥さまの作品だとか。
夜は、広島から来たケケと農家の◎さんが泊まった。6時ごろ来て、11時まで、酒も飲まんと、いつおわるともいえない三世諸仏のお話し三昧。あきがこないんだね。話が尽きない。
今朝は8時までぐっすり寝て、2人は車で広島に帰っていった。広島と言えば、岡村信秀(元コープひろしま専務、現?)、みどり、こうじ(山本)がいる。岡山にはトロンが。新しい人生のはじまりかな。
小川町に、桜井君引っ越して、あいかわらず(失礼)自然エネルギーやってるんだと。けけちゃんは、「適正技術」に関心が移っているらしい。韓国のロケットストーブイノベーションと日本のそれとの連携も楽しみだ。
社会的協同組合、イン・ジャパン、みんなで実現しましょう。もちろん超党派や。

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by issei_tachikawa | 2018-12-10 19:11 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)
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昨日、駅頭アクションの仲間から借りて、夕食後に一気に読み切りました。面白くてためになりましたと言っては平凡すぎるかもしれませんが、自分の体験に重ね合わせて今を振り返り、これからの「生きる」を考えるヒントがたくさんみつかりました。ずーさん、ありがとね。
さて、これの原作者は吉野源三郎さん、初版が出た1937年は、2/17日蓮宗の「死なう団」が皇居前などで割腹自殺、4/26ゲルニカ空爆(ナチス空軍、イタリア機による)、盧溝橋での関東軍自作自演の侵略戦争開始、2.26事件判決(北一輝、村中孝次、西田税=ちから、磯部浅一が処刑され、島崎甚三郎大将はなんと無罪!(トカゲのしっぽ切り終了)11/6 日独伊防共協定成立、11/6日本軍による南京総攻撃始まる、12/15日本無産党などの幹部らがいっせー検挙された年、ですね。
1937年、大変な年だったなー。激動の時代、美空ひばりのデビューもあったんだなー。
これは男の子のほうによりいっそうピンとくる話かもなー
今の20代、10代、果たしてよんでるんじゃろか?メイビーNO(おれの想定)

俺にとっては「ベトナム戦争」加担、域内平和、せんそーしか知らない子供たちだな。
あと、差別でいえば、高校時代のTくんやなー、足が悪くて馬鹿にされていた。授業中に、後ろの奴が缶詰なげたりな。ひでーやつがいたもんですが、おれも黙ってみていたので同罪?いや多数といっしょにわらってたんじゃないかな???
T君とは、1980年代に、日々谷野音集会で会ったなー。青ヘルやった。東水労?

今の時代も、戦争法(安保法)と日米地位協定が生きていて、共謀罪の適用も不気味であり、「北朝鮮」ミサイルの脅威をあおり自分の支持率低迷を隠している安倍日本会議「小選挙区比例独裁」政治
がまかり通る世の中、3000万署名活動が続いています。
なんだか1930年代にいるようないやな気分ですね。
結局、漫画はハッピーエンドでよかったけれど、現実は厳しいなー、でもおれは、さんきゅうハウス楽しんでます。個人・個性大切に(100人100色)、集団の利害とバランス良く、カテゴライズはやめとこう。父母兄姉、義兄2人からの伝言をいつも思い出しながら、そして大学時代に「学習会」で「ベトナム戦争」へ1人の人間として、学生として、どのように主体的に係るべきかを追求していた仲間たちのこともしっかり記憶しながら進みます。
(続く)

by issei_tachikawa | 2018-02-06 11:20 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)
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まちでよく声かけられます。「でてたねー。えらいなー。」とか言われると照れますね。「悪いことできないねー。」ともいわれます。
この記事書いてくださった市民レポーターの岩崎さんに、こころからありがとう。うまく言えませんが勘所に反応する感性、誠実にとらえて書いてくださっています。気持ちが通じてうれしいです。
by issei_tachikawa | 2016-12-06 22:40 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)