どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動( 256 )

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意識が活性化して、心がオープンになってくる。他の「研修」(例えばソカクケン)なんかにも共通性感じますが、ヒューマンライブラリィの場合は、生活に密着して感動が持続してくれるという良い点があるね。
静岡からの帰り道、タマジョーのイナゲヤで買い物していたら、レジの並び(後列)にどっかであったことがあるような男性が、
「清水さんですか?ですよね!」という感じ。
むこうは慌てて「はあ、しみずですが、どちらさまで?」と返してくる。
「立川生協の吉村ですよ。奥さん元気ですかー?」といったら
ようやく彼にも記憶がよみがえったらしく、竹馬の友みたいに、レジのそばの台(?)でやり取りがはじまる。
聞けば、イトーヨーカ堂の通信販売の配達で、週6日もはたらいてるだと。
70才になっちまったとおっしゃるが、おれより3つ若いじゃん。まだまだこれからだねとはなしながら、じつは裏では「もうこれからじんせーおつりだよな。」ともおっしゃる。一応話はあわせて、つりつりつつり。
「うまいもんくって、のみたいもんので、気持ち良いことやって、好きなことでくってければいいよな。」と願望を述べ合う。
このレベルでは、2人とも、まったくの個人(インデイビジュアル、これ以上分割不可能の細胞)として話している。
おくさまはまだある銀行の嘱託をされているらしい。この団地ができた時、最初にできた班が、ここではなかったかなー。東大和桜が丘団地、なつかしき「いくさの場」であります。
ヒューマンライブラリィで4人の話を聞きました。まだひきづっています。
1人目の女性、息子さんが25歳時に交通事故で、高次機能障害に、鼻にチューブ生活、自分でしゃべれない、話せない、歩けない生活から、何とか味覚を取り戻し、かたことですが「お・か・あ・さ・ん」と話てくれるまでのタタカイ。お医者さんには反対されたらしいです。
毎年聞いてばっかりでしたが、来年はぼくも「本」になってみたいなーとおもいました。テーマは「いきづらさを生きがいに」

by issei_tachikawa | 2019-01-20 21:09 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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少し説明しておきます。ヒューマンライブラリィは日本語でいえば、人間図書館、貸し出される本(図書)はこれまでの苦労を乗り越えて前向きに生きているひとたち、借り手は市民。フツーの図書館との違いは、本と読者は、会場内の一室で30分間のコミニケーション、それが読書の代わりになる。
読者は母子だったりかっての本だったり、5人位の複数で読者おやる場合もある。
主宰は社会福祉協議会、市民活動センター。市内のNPOなどが20団体以上協力している。本になりたがらない人がおおいので、オープンまいんどに誘い掛ける。ここがなかなかむずかしい。暗い過去(と本人が思っている場合は)ひとまえで体験談話すなどは考えられない。
逆に、もう乗り越えていきているひとは、比較的前向きに本役をひきうけて、すっきりする体験もしていただける。
さんきゅうハウスからは、江川清さん、佐野靖彦さんを推薦し、YPOのメンバーが読者で盛り上げる。
今日は4名の話をきけた。それぞれとても為になる話でした。
終わってからの交流会は、明日の予定があるのでパスし、帰ってきたらサバドスの田村さんから電話、「きょうこないのー。」といわれて、今日が土曜日である事実に気がつたがあとの祭り。音楽練習わすれてしまったくらいに集中していたということかも。
みなさんおつかれさまでした。さんきゅうだより、東京新聞の記事、2月の活動予定表読者の方と本役の方にくばりましたよ。
「考えてみたら図書館なんだから主人公は読者なんだよな。」とクリエイトの男性曰く、アイシンクソーだね。あまり、カテゴライズしすぎてはつまらなくなる。地域から教育を変えていきたいですね。
★写真は、毎月第1第3火曜日、2時から3時に、さんきゅうカフェカルチャー教室風景、今回は講師:菊池びよさん(大野和夫系譜の舞踏家)の「身体発見動場・体話カフェ」、参加費は1000円+場所代(参加者7名になると場代は参加費から出せます)

by issei_tachikawa | 2019-01-19 20:19 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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たまたまため年だったので、濃いめのつきあいだった。ためって実は、同世代っていってるだけではなくて、いろいろてーへんなんだよ。
会社でもそーだろ。位階制の中ではどちらかが上、どちらかが下にならざる負えない。人事なんてものはわけわからんとこもあって、人事評価システムでフェアですっきり決まればよいのですが、なかなかどうして。
そうすると偶偶下になったやつは、ひがみかねないし、上は上で下がゆうこときかないとむかつく。むづかしいぜこの扱いは。教科書はないな。
えいさんは、利用者の中ではきわだっていた。いつもすっきりしたみなり、銀髪、いつみさん(がんで亡くなったキャスター)を彷彿させるくらいにサラリーマン風のいでたちで、辛口の意見を出してくれた。
「今日の飯、やわいなー。」とか「味噌汁カルキ臭いぞ。」とか。
最初はむかついたものだ。「なにぜーたくいってんだよ、ざけんな。立場かんげーろ。」なんて内心感じたことも。
でもある日の食堂、今でもおぼえてるぜ。彼が彼の方から俺に過去を語りだしたのです。仕事、娘、おくさん、ぱちんこ、などなど、失敗の経験ばかりだったよ。でもかれはその体験を笑顔でかたったあと、「そーだなー、せわんなってばっかりじゃーなー」といいだしたのです。
びっくりしたよ。さっそく月曜のカフェをやってもらった。ジャムづくりのリーダーもお願いした。ノブと俺と英さんの3人で、カフェ借りてお誕生会もやった。
サッカー見に我が家にとまったことも。雪の日だったなー、サイゼリアでまちあわせたのにこない。どうも東大和のほうにいっちまったようだ。でもまよにまよったげく、たどりついてくれた。ぶらぶらになったフライパンのとってをなおしてくれたっけな。ありがと。
カフェの店長、2年間、おつかれさまでした、ほんとうに心の奥底から感謝の気持ちがわきあがってきます。
損得度外視、さんきゅうカフェらしい、シェフにはきちんと定額の謝金を払い続けて、家賃もクリアして、これはさんきゅうの今を支えてくれた功労者ですよ。
ある日、カフェの営業中に腰が痛くなってたちあがれなくなった。4時まわってたな。ちょうど大沢市議と連絡が取れて、役所に行き、国民健保を取り戻せた。これで通院できる。
腰痛くなるわけですよ。24時間マックの生活、明るすぎるし、ヤングがうるせーし、おれなんか3日と持たないかも。ある日現場見学した時、いや-こんな環境に耐えているえいさんってすげーわと心底尊敬しました。無愛想ーに近い無口ですが辛抱強い。それでいてじょーだん(人の気持ち)もよくわかる。
今彼は、さんきゅうハウスの近所のアパートで暮らしています。週3日の守衛のバイトに年金でくらしている。
えいさん、たまにはカフェに来てくれよ、といってるんですが、これがまたてっていしてこないんです。(笑い)でも、こころのおくそこで地域家族的につながっているから大丈夫、信頼の輪にはいってるからね。毎日「安否確認」のメールが委託会社から入る。2日連続で出ない場合は、黄色信号が!
でもたいていは・・・・ですよ。(笑い)

by issei_tachikawa | 2019-01-18 18:27 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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74歳で眠る様に亡くなった。人気者だったね。入寮後も早起きしてカンカン集めて夕方帰って来る生活。来てるものはいつも黒のスーツ姿で変わらなかった。
不思議な人でした。帰ってきて軍手脱がずに電気釜を開けて、そのまま飯をつごうとする。よく管理人に怒られてたね。
あと、玄関の他人の靴を自分の部屋に持ち込んでしまう。なおらなかったね。しかたなしにみんな自分のくつは自分の部屋に持って上がってたみたいでした。
キッチンの生肉(調理前)とか生の魚もそのまま食べてしまうこともとか!!!
あるとき隣人とのトラブルで、「家出」した。探しても見つからない。どうしようか捜査願出すかという日に帰ってきた。
聞けば「砂川の秋山建設の飯場ではたらいていた。」とおっしゃるのですが、それらしき会社は砂川にはない。あの1週間どこでどんな生活されていたんじゃろか?これは謎のままです。
あと、「自分は鹿児島県会議員なので」とか「衆議院議員だから」大沢さん(当時は市議)よりえらいんだともおっしゃっていた。皆笑って聞いてくれた。
「クリーニング屋もしていた。」とおっしゃっていた。
亡くなって火葬する日、成田さんのお経が斎場で響いている。生保の場合は、市の負担であの世に送れるのだが、坊さんまでは呼べない。成田さんはお寺の息子なので、お経ももっていて、こういうときにはありがたい。あと、御通夜と告別式的なしきたりも無視して、いきなり火葬されてしまいます。
焼かれている間中控室で仲間があつまり、故人の思い出話をしていた。
さて、骨壺にお迎えする儀式、驚いたことに骨に交じって、縦2cm横4cmくらいの金網が残っている。ということは、彼の頭蓋骨の中には、それが入っていたのか!
これも謎の話であります。
さわちゃん、変だったけれど、みんなにあいされていたね。おつかれさま、あの世であいたいね。おれもある意味「変さ値」高いもんで、気が合うんだよ。

by issei_tachikawa | 2019-01-18 14:17 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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かんじい。カンジイは78歳で亡くなった。役所にチャリで行く途中、緑町公園で倒れていたところを通行人が見つけて、警察通じて連絡が入った。
死因は公表されなかったが、ぼくのみたてでは、あのときの階段からの転落事故で、3階から降りる途中足をすべらし、2階の踊り場で腰を激しく打ったことが、心臓に響いたのかなと思う。
耳が遠くて、ほとんどスムースな会話ができない状態が何年間も続いていたが、路上の頃に「お世話になった」という人が葬儀にたくさん訪れた。人望厚い人だったな。
今でも昨日の事のように思いだすことがある。ある年のお雑煮会に娘さんがお孫さんつれてやってきたのだ!ご対面、何年ぶりだったのだろうか?聞けなかった。
どうも彼女もあるところで生保申請したら、検索されてさんきゅうハウスにいることがわかり、家族がなんどか会いにこられた。
お子さん7人だったらしい。葬儀のときに末の息子さんに会えた。おやじにそっくりで、歌舞伎役者にしたくなるくらい良い男だった。
命あるあいだに家族再会できたことが、せめてもの救いだったと思いたい。
転落事故防止のためには、階段の昇降時は手すりをもちながらと徹底したい。定例のミーティングで何度でも再確認しよう。
それにしてもなんでこのひとが、とおもうことが度々ある。でも聞きづらい。だれだって過去のきずあとに触れられたくないという感情と、いっそのこと信頼できるやつだったら洗いざらい話して気持ちすっきりしてもよいかなと感じるときと、両方ありだとおもうが、そこんとこは相手本位でいこうと決めています。
特別のひとがホームレスに追い込まれるわけではないんだね、10年かけてようやくわかり始めています。
現役が市内の河原に4名、市外だが近くの河原に2名、なんだかわけわからん人が1名、駅周辺に2名います。小泉内閣当時は、河原だけで50名以上、公園入れたら70名以上の方が路上生活されていた。
比べたら70名⇒9名ですから、おれたちの取り組みの成果もあったかもしれませんが、地域での「貧困」現状が、見えづらくなっただけで、問題解決ではないと感じます。引き続き、みなさまからの応援、お願いしますね。何に一番困ってるかと言えば、やはり資金不足です。すでに、NPO法人としての力量超えて行政がやるべきこともやっているのが現状なのです。
★空き缶あつめてキロ80円とかで回収業者に売り、朝から晩まで働いて2000円とかで暮らす人もいる。アホノミクスの裏側。「かんじい」ことEさんは、そのなけなしの2000円も自分だけで使わないで仲間におごったりしていたらしい。

by issei_tachikawa | 2019-01-18 09:02 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)

取り組み3つめ Hさん


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Hさん(男性、65才)はほんとうに物静かな人だった。でも不思議に胸中に秘める何かの重さを感じさせる人でもあった。
さんきゅうハウスに入居するまでは、モノレールの立川駅したで寝泊まりされていたように思う。さんきゅう食堂を利用されていても、気づかなかったくらい自己主張のわかりづらい方だった。
ある日、彼の左腕が震えているのが気になり始めた。立川ふれあいクリニックへの通院サポートが始まり、パーキンソン氏病の一種と診断された。
さんきゅうハウスに入居されてからも、きわめて品行方正、良識ある利用者として、いわば入寮者のかがみのように思われていた。酒、たばこ、ギャンブル、その他何もなし。パルパンもきちんと買ってくださっていた。
それがあるとき、実のお姉さまから電話があり、ご夫婦でさんきゅうハウスに来られて、「もう年なので心配ですから、近所で暮らしたい。」とのこと。お姉さまの御主人は70代中ごろで福祉関係のお仕事と聞いた。
さんきゅうハウス利用者のご親族から連絡が入ったのはこれで2人目、中には本人が亡くなって葬儀前に連絡が取れたのに、「もうとうのむかしに縁切ったので・・」というお返事の場合もあった。Hさんのような事例があると、嬉しい。
さて、引越し前になって、病院間の紹介状が必要になり、立川のふれあいクリニックにいったら、なんと生保利用者は「無料」で大丈夫との事、知らなかった。
そのことを本人に伝えたのだが、どうしても納得できない様子でした。「引越しの手配、行政間のやりとり仲介、そのたもろもろいろいろお世話になってるので、気持ちだけでもお支払いしたい。」とおっしゃる。こちらは敷金もお返ししなくてはならないし、引っ越し後もお金はかかるので、気を使わないようにお願いしたはずでした。
ところが、引越し前数日の日、玄関で待っていた彼から、左腕をつかまれました。え!と思った瞬間、ぼくの手のひらに1000円札が。「気持ちですから」とやさしいことば。遠慮なくいただきました。
敷金もさんきゅうハウスの運営資金の足しにといわれたそうですが、そちらは大沢さんから彼に返されました。
このやりとり、社協の女神に報告しましたところ、「こころのバランスシートってあるのでは」という説明でした。うーん、考え続けながら今日もさんきゅうハウスでした。お姉さまから年賀状をいただきましたので、お返事出しました。またいつかあえますように。

by issei_tachikawa | 2019-01-17 21:38 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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Sさんは、88才で大往生された。耳が遠かったことが、かえって長寿につながったのかなーと勝手に思う。あたらずといえども・・であろうか。
大川戸さんところによくきてたなー。最近さんきゅうにはあまりこなくなって、噴水公園のたまり場にはなじみだったようだ。
土壇場で、「トマトが食いたい。」といいはり、寄り添っていた大沢さん、吉田さんはたいへんこまったそうだ。
大沢さんは「腸閉塞などを併発する恐れがあるのぜ絶対に食べさせてはいけない。」と主張したらしい。他方、吉田さんは、「死ぬ前に好きなもん食べさせるのが人情やろ。」という考えと聞く。
おれも困った。でも断食で入眠する僧侶のことなど思い浮かべて、結論では大沢さんの意見に賛成した。厳しい選択だった。他のスタッフの皆さんもそれぞれ気苦労されたことだとおもいます。
2択で済む話ではないんだよな。ベストはない。ベターはある。でもなかなか結論出せないで時間ばかりが過ぎていく。
さんきゅうハウス総力をあげて寄り添い回復を祈っていましたが、9月28日未明に亡くなりました。
噴水公園に集まるみなさんは、独自に、さんきゅうはうすでは市の焼き場で旅立ちを見送りました。
1930年生まれの彼から、もっともっと聞き出せることがあったのになーと考えると残念ではありますが、路上生活という不運な暮らしで歯を失い、年金+生保暮らしでも健康なんて気にせずいきてこられたのであろう彼の人生に、こころのおくそこからおつかれさま、ありがとうを捧げたいとおもいます。



by issei_tachikawa | 2019-01-16 20:45 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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1つはAさん対応
2つは、Sさん
3つは、Hさん
4つは、かんじいことEさん
1つめですが、Aさんは市内の特養で亡くなりました。悲しい知らせですが、反面ではさんきゅうハウスの総力をあげた取り組みで、路上死とか孤立死でなかったのがせめてもの救いかもしれません。
Aさんは、さんきゅうハウス1号館(高松町)の最初の入居者で、3か月以上の期間、介護保険適用前で年金支給もまだだったので、毎日24時間介護しました。
管理人のOさんが一番大変だったと思います。あと、つよしも大活躍してくれたし、今入院中の江川さんも同じ町内同志ということもあり、ゴミ出し・買い物などに力を貸してくれました。のんびるの山木さんにも、取材や食事作りでお世話になりました。
彼は、あんぱんが好物、魚もすきだったな。おおきなほっけ焼いたの、1人で食べてしまいました。
あと、ジャイアンツファンだったので、「あったかくなったら多摩川の練習場見学いこうね。」と約束していたのですが、入所になって果たせませんでした。少し心残り。
彼は、北海道教育大学卒で小学校の教師やっていたらしい。何度か災害医療センター通院介助したとき、財布の中から古い写真がみえました。
奥様と娘さん(だったとおもう)が写っていました。それみた瞬間泣いてしまいました。辛い気持ちを共有したのです。
介護保険が適用されて通ってきたあるヘルパーが、彼のこと見た瞬間、「せんせー・・」とつぶやいた。彼女が小学生の頃、たしかに教わったことがあるというのです。何とも言えない気持ちでした。
辛い気分も多々あったのですが、特養入所される前、「さんきゅうハウスと出会って本当に良かった。」という彼のことば、忘れないようにしたいです。
★2~4は、後で書きますね。なを、写真は別人です。彼も故人です。彼は砂川の米軍基地拡張反対同盟では唯一の「小作人」でした。85才の生涯、ステッチの常連さんの1人であり、「生まれはケニア、育ちはリビア、あたまはパーニャ」とかダジャレ連発名人で、お話し聞くのが楽しみでした。彼のお誕生会を企画したら、ハーモニカ吹いてくれた、シャイな彼がついに、「人前で吹いたのなんて初めてさ」とおっしゃっていましたっけ。地域には面白い高齢者たくさんおるんだよ。見つけたらいっしょにみがいてあげましょう。

by issei_tachikawa | 2019-01-16 19:04 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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竹谷直子記者が、記事にしてくださいました。身に余る光栄です。さっそくコピーして配ろかおもってやめました。ぜひ新聞買っていただきたいから。110円!あの忖度新聞はいくら?150円。内容が断然違いますから。
ぼくは、メデイアとして認めている新聞は、いくつもありますが、忖度2紙だけは、ごみくずだとおもっています。ただし、カテゴライズして記者さん迄批判したりはしません。
NHKに対しても、カテゴライズしてぶったたくだけでは世の中変えられません。
中でいっしょけんめい働いている労働者をほめて励ますのですよ。この心得が肝心。
これからの政治決戦、文化的なたたかいで重要なことは、提案型と批判型のバランスを取ることではないか。
1つのとりくみですが、立川市役所のコンビニに、忖度新聞しかおいていなかったので、店長に聞きました。
「なぜ、東京新聞を置かないのですか?」と。
答えはクリア(明快)でした。
「営業部で決めているのです。」とのこと。
早速提案しました。
「東京新聞は2011年以降売り上げを伸ばしています。市役所にあるコンビニですから、左右中道いずれの新聞もそろえるのが筋だと思いますよ。」と。
それから1週間もしてから、見回りに行ったらなんと!おいてあるのですよ東京新聞が、民主主義の原点、これもそのいっかくかなー思いました。
この成果にアジをしめて、他のコンビニでも、東京を置くように提案しましたら、もう近所でおいてない店が目立つようになりました。
未だにダメな店があります。「緑町住宅」(つまり陸自家族寮)の対面にある店ではまだおいてくれません。なぜでしょうか?
なっとくできませんから、言い続けるつもりです。俺たちは負けない!
★記事内容についてお詫びと補足説明
1つだけ事実と違う表現があります。出版社に勤めたのは法政大学経営学部自治会活動から逃亡して以降の話です。イッセーの20代人生は「逃亡と個人主義的遊びと同棲」でしたから、文面とはかなり違います。ぼくは根がやくざな不良少年でしょう。
京大大学院に入りなおせたのはMさんたちと「おやじ」おやじ」⇒兄姉のおかげです。
もうひとつは、補足です。さんきゅうハウスってとこは、たしかに面白くてためになる現場教育の場ですが、ぼくは大沢豊さんから誘われてやりはじめたのであって、この活動は「大沢豊と市政を変える会」および「三多摩野宿者人権ネットワーク」の仲間のみなさんとの協働活動の成果です。ぼくは、たまたま運よく代表になってしまっただけなので、誤解されないようにお願いいたします。
パルシステムなどすべての生活協同組合、ワーカーズコープ、立川市社会福祉協議会、総合福祉センターで活動されている諸団体、善意あふれるお寺さん、キリスト教会のみなさま、立川市福祉課のみなさまに、これまで本当にありがとうございました。これからもよろしくおねがいいたします。
NPO活動、拠点の維持には金がかかります。ボランテイ的労働に支えられ、全国からよせられるご寄付・カンパにささえられています。
必要に応じてWAM様、パルシステム東京および連合会様、真如苑様などからの助成金も活用させていただいております。あらためて、これまで本当にありがとうございました。これからもよろしくおねがいいたします。
愛と協働、賀川豊彦さんら生協創設者たちの思いにはせながら、ゆっくりとあゆみます。民主主義社会の主人公は「人民(国民)=ピープル」ですが、さんきゅうハウス活動の主人公は「利用者」(現役,OB、その他)の皆さんです。

by issei_tachikawa | 2019-01-16 12:42 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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自宅庭で7時からお炊き上げ、ささかみ農協の長谷川さんからのしめ飾りのしたに、新聞紙半分に切って軽めに丸めて下に轢き、しめ飾り2つを上に載せます。
1つは自宅の、2つはさんきゅうの。炎は50cmくらいにまであがります。正座して炎をみつめておると、通り過ぎる人が不思議そうです。(見返してないけれどたぶん、なんじゃこのおやじとかおもってたりして)
夜中に焚火、いいねー。回想シーン。ヅカのフイゴノ火、加治屋のハンマーが鉄を打つ瞬間にとぶせんこうはなびみたいな火玉、龍泉寺のたきびもきれいでした。
そういえば昔の冬はいつも庭で焼き芋してたし、引越し前の国分寺で芳郎さんは庭で何かを焼いていたなー。煙りに対して寛容だったのだね。(温暖化も目立ってなかった、鈍感だったともいえるな)
しめ飾りが焼けてからも小さな炎をみつめながら、2018年を振り返り、感謝の気持ちを込めながら、2019年の無事を祈る。
ゆっくりゆっくりです。いそがない、みかえりもとめない、あたえつづけること。この活動が誰かの笑顔につながりますように。
情けあふれるまち、たちかわでの地域家族づくり、たのしいよ。
カフェ初日は13名の来客、アパッチからジョージへ、ジャンバーのプレゼントありました。とりあえずカフェにおいとくよ。
福生から初めての女性が、誰かの紹介らしい。そうだ!オスプレイの話題、だすべきだったね。わすれてた。
途中、京子さんが寄付者へのお礼にきてくれた。ちょうどパンダ社長が昼食中だったのでジャストインタイムでしたね。
あと、33才の久しぶりの「現役」、Kさん現る。残金少ないので、とりあえず「おまかせ」代金いただいてから、少しカンパしましたが、明日風呂と洗濯で来るときに追加支援しましょう。とりあえず、食糧3日分くらいをFBしました。
生保申請断ったんだと。まだやりなおせますからと補足説明しておきました。あすはパルパン配布の日です。
そうだ、マチパの広報ビラをパルシステム東京の昭島センター配達時にまいていただけないか活動長(浅野さん)に打診したところ前向きのお返事いただいたので、社協の担当者(くまきさん)に連絡しました。
で、思い出した!まちぱのことなのに、ヒューマンライブラリィと間違えた。大丈夫かなー。明日お詫びして再確認します。

by issei_tachikawa | 2019-01-10 21:13 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)