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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動( 259 )

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言い出しっぺは神馬さん、数日前にいいだしたので有志6人のお花見でしたが、実りありました。
昨晩、近所のスーパーで餃子パック(9個入り)を5つ買い、今朝11:00からどどーっと炒めて、パックに入れて持っていきました。野菜サラダの素材は、ワイナマユの幸路さんの畑でとれたもの(ラデッシュ、チンゲン菜の若菜)、パルシステムのミニトマと小松菜を使いました。
ケンちゃんの存在と切り返しトークが、皆の拍手を呼びました。個人情報ですので限定オープン、彼はさんきゅうに来て以来初めて、「そんなこといちいちきかれるすじあいはねーだろ!」と言い返したのです。やったぜ!
そのまえに「天敵」だった・・・の呼びかけに答えて、花見に来てくれたこと自体が、レボリューションだったよ。
「黒帯」のカンパもゲットしました。うれしいぜ!
夜は、中野のポレポレで、「沈没家族」上映会があったようです。さっちゃんTAKADAは遠路はるばるさんかしたらしい。
FBのコメントに感じてしまったので、迷わずシェアしちゃったぜ。

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モーっ・・・・明日から国立市議選応援ポステイング開始、6日間で3万枚まきますが、10人でやっても一人1日300は消化しないといけない。いやーきびしいぞこれは。でもまけらんないからな、やりきろう。事務所は国立駅南口旭通り直進し、三差路を左にいくと、一橋大学の寮正門、その対面のアパート201号室らしい。この道
50年さわいでくる血をすなおに流すこと。




by issei_tachikawa | 2019-04-07 23:08 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
1つは、どん底をしることかな。命以外は、すべてを失うことがどんないつらいことなのかは比較的想像しやすい。しかし、底つき体験したものでなければ、得られない何かを獲得できるかもしれないという想像はなかなか、現場を知らないと味わえないものだと思う。
たとえば、生きる力、生き延びるエネルギーについて。顔がその象徴。最初会った時には絶望を絵にかいたような表情だった人が、今では笑顔で良くしゃべる。いっしょにのむとかなわないくらい。電車んなかでも隣の人に「もう少し小さな声で・・」と注意されるくらいよくしゃべる。
変わったなーとお互いため息をつくぐらいに変わってくる。ひとりではない。何人もの人が、です。『のんびる』(2017年11月号)でも特集されました。

仕事が人に付属している、それこそらしさとして評価しても良い。「これはおれだからできる。おれがこけたらまただれかがそのひとなりのやりかたで続けてくれる(であろう、そうあってほしいと願う)」
この考え方は、かって乗り越えのたいしょうだったのですが、今は違います。TPOに応じたマネジメントが必要。ドラッカーはこの点いかなる意見を表明しているのでしょうか?NPOマネジメント、地域力って何か
・亀井さんの100才お誕生会をさんきゅうでやる
・じんちゃんが人工透析から解放される時が来る
・当事者半数、支援者半数、専門家数名の経営ができる
・みやちゃんがアルコールから解放される
・憲法25条の「健康的にして・・」の意味について、学習会をしたいという人が1名でもでてくる
・・・といいにゃー。10年後のさんきゅう、30年後の立川、たのしみだにゃー。

もうひとつあげるならばやっぱ、出会いの妙ですね。インドから石谷上人がやってくる。ほっかいどーからアパッチがくる。練馬からともだちがくる。パルの仲間も。」いろんなとこから来てくれる。おのひとたちが、時の流れるのを忘れてここで交流する。まさに交流率さいこー。
これできるのも場所がるからだなーとつくづくおもう。生かされている「さんきゅうハウス」大切に育てていこう。
今日は健康麻雀、明日は「貝殻橋近くの満開の桜の下で」お花見です。


by issei_tachikawa | 2019-04-05 10:04 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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シェフはアイ子さん、フロアは幸悦です。
おまかせ定食メニューは、
・えび、わんたん、野菜たっぷりのお鍋
・ミニオムレツ(中には玉ねぎとウインナ)
・大根の漬物(お酢味)
お米は、茨城の佐藤さんからのダイレクト産直、無農薬米で、長岡式酵素玄米にしあげています。炊飯日は月曜日、3日間熟成さセていますので、普通の玄米みたいに何回もかまなくたって大丈夫ですよ。
コーヒーは、まめ吉さんからです。自家熱風ガス焙煎、ペルーカハマルカ地方からフェアトレード、砂川⇒羽衣町の地場産直
お値段は、定食だけなら600円、コーヒーとセットなら800円、おかわりコーヒーは
200円です。
収入に恵まれない(財布空っぽ)の人も排除しない。シェアランチ(無料)があります。自己申告です。嘘なんかつかないよというのが前提です。ないもんはない、あるもんはある。生保の人は明日でるから、大丈夫、だよね。
そして来週は、待望のダメ連「ぺぺ」ちゃんのお寿司がメインです。4時頃閉店して、ぞろぞろと高田の馬場に繰り出します。
目的地は「あかね」、えっつ!行ったことないですか。名前を知らない?まあそういう人もいるでしょうね。
あかねのスタートは1960年代らしい。早稲田大学の文学部正門前にあります。ここに集まる客層が、これまたチャーミング、西の駆け込み、東のあかね?なんてね。
ごひいきに。
★画像と当日メニューは関係ございません。念のために。くんちゃんカフェは、5月2日の連休中に開きます。1年ぶり?パンタ同盟つながりです。彼女、国分寺食堂で頑張っていますが、長期連休なので臨時でおねがいしちゃいました。


by issei_tachikawa | 2019-04-02 20:41 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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意識が活性化して、心がオープンになってくる。他の「研修」(例えばソカクケン)なんかにも共通性感じますが、ヒューマンライブラリィの場合は、生活に密着して感動が持続してくれるという良い点があるね。
静岡からの帰り道、タマジョーのイナゲヤで買い物していたら、レジの並び(後列)にどっかであったことがあるような男性が、
「清水さんですか?ですよね!」という感じ。
むこうは慌てて「はあ、しみずですが、どちらさまで?」と返してくる。
「立川生協の吉村ですよ。奥さん元気ですかー?」といったら
ようやく彼にも記憶がよみがえったらしく、竹馬の友みたいに、レジのそばの台(?)でやり取りがはじまる。
聞けば、イトーヨーカ堂の通信販売の配達で、週6日もはたらいてるだと。
70才になっちまったとおっしゃるが、おれより3つ若いじゃん。まだまだこれからだねとはなしながら、じつは裏では「もうこれからじんせーおつりだよな。」ともおっしゃる。一応話はあわせて、つりつりつつり。
「うまいもんくって、のみたいもんので、気持ち良いことやって、好きなことでくってければいいよな。」と願望を述べ合う。
このレベルでは、2人とも、まったくの個人(インデイビジュアル、これ以上分割不可能の細胞)として話している。
おくさまはまだある銀行の嘱託をされているらしい。この団地ができた時、最初にできた班が、ここではなかったかなー。東大和桜が丘団地、なつかしき「いくさの場」であります。
ヒューマンライブラリィで4人の話を聞きました。まだひきづっています。
1人目の女性、息子さんが25歳時に交通事故で、高次機能障害に、鼻にチューブ生活、自分でしゃべれない、話せない、歩けない生活から、何とか味覚を取り戻し、かたことですが「お・か・あ・さ・ん」と話てくれるまでのタタカイ。お医者さんには反対されたらしいです。
毎年聞いてばっかりでしたが、来年はぼくも「本」になってみたいなーとおもいました。テーマは「ぼくもいきにくいのさ」

by issei_tachikawa | 2019-01-20 21:09 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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少し説明しておきます。ヒューマンライブラリィは日本語でいえば、人間図書館、貸し出される本(図書)はこれまでの苦労を乗り越えて前向きに生きているひとたち、借り手は市民。フツーの図書館との違いは、本と読者は、会場内の一室で30分間のコミニケーション、それが読書の代わりになる。
読者は母子だったりかっての本だったり、5人位の複数で読者をやる場合もある。
主宰は社会福祉協議会、市民活動センター。市内のNPOなどが20団体以上協力している。本になりたがらない人がおおいので、オープンまいんどに誘い掛ける。ここがなかなかむずかしい。暗い過去(と本人が思っている場合は)ひとまえで体験談話すなどは考えられない。
逆に、もう乗り越えていきているひとは、比較的前向きに本役をひきうけて、すっきりする体験もしていただける。
さんきゅうハウスからは、江川清さん、佐野靖彦さんを推薦し、YPOのメンバーが読者で盛り上げる。
今日は4名の話をきけた。それぞれとても為になる話でした。
終わってからの交流会は、明日の予定があるのでパスし、帰ってきたらサバドスの田村さんから電話、「きょうこないのー。」といわれて、今日が土曜日である事実に気がついたがあとの祭り。音楽練習わすれてしまったくらいに集中していたということかも。
みなさんおつかれさまでした。さんきゅうだより、東京新聞の記事、2月の活動予定表読者の方と本役の方にくばりましたよ。
「考えてみたら図書館なんだから主人公は読者なんだよな。」とクリエイトの男性曰く、アイシンクソーだね。あまり、カテゴライズしすぎてはつまらなくなる。地域から教育を変えていきたいですね。
★写真は、毎月第1第3火曜日、2時から3時に、さんきゅうカフェカルチャー教室風景、今回は講師:菊池びよさん(大野和夫系譜の舞踏家)の「身体発見動場・体話カフェ」、参加費は1000円+場所代(参加者7名になると場代は参加費から出せます)

by issei_tachikawa | 2019-01-19 20:19 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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たまたまため年だったので、濃いめのつきあいだった。ためって実は、同世代っていってるだけではなくて、いろいろてーへんなんだよ。
会社でもそーだろ。位階制の中ではどちらかが上、どちらかが下にならざる負えない。人事なんてものはわけわからんとこもあって、人事評価システムでフェアですっきり決まればよいのですが、なかなかどうして。
そうすると偶偶下になったやつは、ひがみかねないし、上は上で下がゆうこときかないとむかつく。むづかしいぜこの扱いは。教科書はないな。
えいさんは、利用者の中ではきわだっていた。いつもすっきりしたみなり、銀髪、いつみさん(がんで亡くなったキャスター)を彷彿させるくらいにサラリーマン風のいでたちで、辛口の意見を出してくれた。
「今日の飯、やわいなー。」とか「味噌汁カルキ臭いぞ。」とか。
最初はむかついたものだ。「なにぜーたくいってんだよ、ざけんな。立場かんげーろ。」なんて内心感じたことも。
でもある日の食堂、今でもおぼえてるぜ。彼が彼の方から俺に過去を語りだしたのです。仕事、娘、おくさん、ぱちんこ、などなど、失敗の経験ばかりだったよ。でもかれはその体験を笑顔でかたったあと、「そーだなー、せわんなってばっかりじゃーなー」といいだしたのです。
びっくりしたよ。さっそく月曜のカフェをやってもらった。ジャムづくりのリーダーもお願いした。ノブと俺と英さんの3人で、カフェ借りてお誕生会もやった。
サッカー見に我が家にとまったことも。雪の日だったなー、サイゼリアでまちあわせたのにこない。どうも東大和のほうにいっちまったようだ。でもまよいにまよったげく、たどりついてくれた。ぶらぶらになったフライパンのとってをなおしてくれたっけな。ありがと。
カフェの店長、2年間、おつかれさまでした、ほんとうに心の奥底から感謝の気持ちがわきあがってきます。
損得度外視、さんきゅうカフェらしい、シェフにはきちんと定額の謝金を払い続けて、家賃もクリアして、これはさんきゅうの今を支えてくれた功労者ですよ。
ある日、カフェの営業中に腰が痛くなってたちあがれなくなった。4時まわってたな。ちょうど大沢市議と連絡が取れて、役所に行き、国民健保を取り戻せた。これで通院できる。
腰痛くなるわけですよ。24時間マックの生活、明るすぎるし、ヤングがうるせーし、おれなんか3日と持たないかも。ある日現場見学した時、いや-こんな環境に耐えているえいさんってすげーわと心底尊敬しました。無愛想ーに近い無口ですが辛抱強い。それでいてじょーだん(人の気持ち)もよくわかる。
今彼は、さんきゅうハウスの近所のアパートで暮らしています。週3日の守衛のバイトに年金でくらしている。
えいさん、たまにはカフェに来てくれよ、といってるんですが、これがまたてっていしてこないんです。(笑い)でも、こころのおくそこで地域家族的につながっているから大丈夫、信頼の輪にはいってるからね。毎日「安否確認」のメールが委託会社から入る。2日連続で出ない場合は、黄色信号が!
でもたいていは・・・・ですよ。(笑い)

by issei_tachikawa | 2019-01-18 18:27 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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74歳で眠る様に亡くなった。人気者だったね。入寮後も早起きしてカンカン集めて夕方帰って来る生活。来てるものはいつも黒のスーツ姿で変わらなかった。
不思議な人でした。帰ってきて軍手脱がずに電気釜を開けて、そのまま飯をつごうとする。よく管理人に怒られてたね。
あと、玄関の他人の靴を自分の部屋に持ち込んでしまう。なおらなかったね。しかたなしにみんな自分のくつは自分の部屋に持って上がってたみたいでした。
キッチンの生肉(調理前)とか生の魚もそのまま食べてしまうこともとか!!!
あるとき隣人とのトラブルで、「家出」した。探しても見つからない。どうしようか捜査願出すかという日に帰ってきた。
聞けば「砂川の秋山建設の飯場ではたらいていた。」とおっしゃるのですが、それらしき会社は砂川にはない。あの1週間どこでどんな生活されていたんじゃろか?これは謎のままです。
あと、「自分は鹿児島県会議員なので」とか「衆議院議員だから」大沢さん(当時は市議)よりえらいんだともおっしゃっていた。皆笑って聞いてくれた。
「クリーニング屋もしていた。」とおっしゃっていた。
亡くなって火葬する日、成田さんのお経が斎場で響いている。生保の場合は、市の負担であの世に送れるのだが、坊さんまでは呼べない。成田さんはお寺の息子なので、お経ももっていて、こういうときにはありがたい。あと、御通夜と告別式的なしきたりも無視して、いきなり火葬されてしまいます。
焼かれている間中控室で仲間があつまり、故人の思い出話をしていた。
さて、骨壺にお迎えする儀式、驚いたことに骨に交じって、縦2cm横4cmくらいの金網が残っている。ということは、彼の頭蓋骨の中には、それが入っていたのか!
これも謎の話であります。
さわちゃん、変だったけれど、みんなにあいされていたね。おつかれさま、あの世であいたいね。おれもある意味「変さ値」高いもんで、気が合うんだよ。

by issei_tachikawa | 2019-01-18 14:17 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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かんじい。カンジイは78歳で亡くなった。役所にチャリで行く途中、緑町公園で倒れていたところを通行人が見つけて、警察通じて連絡が入った。
死因は公表されなかったが、ぼくのみたてでは、あのときの階段からの転落事故で、3階から降りる途中足をすべらし、2階の踊り場で腰を激しく打ったことが、心臓に響いたのかなと思う。
耳が遠くて、ほとんどスムースな会話ができない状態が何年間も続いていたが、路上の頃に「お世話になった」という人が葬儀にたくさん訪れた。人望厚い人だったな。
今でも昨日の事のように思いだすことがある。ある年のお雑煮会に娘さんがお孫さんつれてやってきたのだ!ご対面、何年ぶりだったのだろうか?聞けなかった。
どうも彼女もあるところで生保申請したら、検索されてさんきゅうハウスにいることがわかり、家族がなんどか会いにこられた。
お子さん7人だったらしい。葬儀のときに末の息子さんに会えた。おやじにそっくりで、歌舞伎役者にしたくなるくらい良い男だった。
命あるあいだに家族再会できたことが、せめてもの救いだったと思いたい。
転落事故防止のためには、階段の昇降時は手すりをもちながらと徹底したい。定例のミーティングで何度でも再確認しよう。
それにしてもなんでこのひとが、とおもうことが度々ある。でも聞きづらい。だれだって過去のきずあとに触れられたくないという感情と、いっそのこと信頼できるやつだったら洗いざらい話して気持ちすっきりしてもよいかなと感じるときと、両方ありだとおもうが、そこんとこは相手本位でいこうと決めています。
特別のひとがホームレスに追い込まれるわけではないんだね、10年かけてようやくわかり始めています。
現役が市内の河原に4名、市外だが近くの河原に2名、なんだかわけわからん人が1名、駅周辺に2名います。小泉内閣当時は、河原だけで50名以上、公園入れたら70名以上の方が路上生活されていた。
比べたら70名⇒9名ですから、おれたちの取り組みの成果もあったかもしれませんが、地域での「貧困」現状が、見えづらくなっただけで、問題解決ではないと感じます。引き続き、みなさまからの応援、お願いしますね。何に一番困ってるかと言えば、やはり資金不足です。すでに、NPO法人としての力量超えて行政がやるべきこともやっているのが現状なのです。
★空き缶あつめてキロ80円とかで回収業者に売り、朝から晩まで働いて2000円とかで暮らす人もいる。アホノミクスの裏側。「かんじい」ことEさんは、そのなけなしの2000円も自分だけで使わないで仲間におごったりしていたらしい。

by issei_tachikawa | 2019-01-18 09:02 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)

取り組み3つめ Hさん


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Hさん(男性、65才)はほんとうに物静かな人だった。でも不思議に胸中に秘める何かの重さを感じさせる人でもあった。
さんきゅうハウスに入居するまでは、モノレールの立川駅したで寝泊まりされていたように思う。さんきゅう食堂を利用されていても、気づかなかったくらい自己主張のわかりづらい方だった。
ある日、彼の左腕が震えているのが気になり始めた。立川ふれあいクリニックへの通院サポートが始まり、パーキンソン氏病の一種と診断された。
さんきゅうハウスに入居されてからも、きわめて品行方正、良識ある利用者として、いわば入寮者のかがみのように思われていた。酒、たばこ、ギャンブル、その他何もなし。パルパンもきちんと買ってくださっていた。
それがあるとき、実のお姉さまから電話があり、ご夫婦でさんきゅうハウスに来られて、「もう年なので心配ですから、近所で暮らしたい。」とのこと。お姉さまの御主人は70代中ごろで福祉関係のお仕事と聞いた。
さんきゅうハウス利用者のご親族から連絡が入ったのはこれで2人目、中には本人が亡くなって葬儀前に連絡が取れたのに、「もうとうのむかしに縁切ったので・・」というお返事の場合もあった。Hさんのような事例があると、嬉しい。
さて、引越し前になって、病院間の紹介状が必要になり、立川のふれあいクリニックにいったら、なんと生保利用者は「無料」で大丈夫との事、知らなかった。
そのことを本人に伝えたのだが、どうしても納得できない様子でした。「引越しの手配、行政間のやりとり仲介、そのたもろもろいろいろお世話になってるので、気持ちだけでもお支払いしたい。」とおっしゃる。こちらは敷金もお返ししなくてはならないし、引っ越し後もお金はかかるので、気を使わないようにお願いしたはずでした。
ところが、引越し前数日の日、玄関で待っていた彼から、左腕をつかまれました。え!と思った瞬間、ぼくの手のひらに1000円札が。「気持ちですから」とやさしいことば。遠慮なくいただきました。
敷金もさんきゅうハウスの運営資金の足しにといわれたそうですが、そちらは大沢さんから彼に返されました。
このやりとり、社協の女神に報告しましたところ、「こころのバランスシートってあるのでは」という説明でした。うーん、考え続けながら今日もさんきゅうハウスでした。お姉さまから年賀状をいただきましたので、お返事出しました。またいつかあえますように。

by issei_tachikawa | 2019-01-17 21:38 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
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Sさんは、88才で大往生された。耳が遠かったことが、かえって長寿につながったのかなーと勝手に思う。あたらずといえども・・であろうか。
大川戸さんところによくきてたなー。最近さんきゅうにはあまりこなくなって、噴水公園のたまり場にはなじみだったようだ。
土壇場で、「トマトが食いたい。」といいはり、寄り添っていた大沢さん、吉田さんはたいへんこまったそうだ。
大沢さんは「腸閉塞などを併発する恐れがあるのぜ絶対に食べさせてはいけない。」と主張したらしい。他方、吉田さんは、「死ぬ前に好きなもん食べさせるのが人情やろ。」という考えと聞く。
おれも困った。でも断食で入眠する僧侶のことなど思い浮かべて、結論では大沢さんの意見に賛成した。厳しい選択だった。他のスタッフの皆さんもそれぞれ気苦労されたことだとおもいます。
2択で済む話ではないんだよな。ベストはない。ベターはある。でもなかなか結論出せないで時間ばかりが過ぎていく。
さんきゅうハウス総力をあげて寄り添い回復を祈っていましたが、9月28日未明に亡くなりました。
噴水公園に集まるみなさんは、独自に、さんきゅうはうすでは市の焼き場で旅立ちを見送りました。
1930年生まれの彼から、もっともっと聞き出せることがあったのになーと考えると残念ではありますが、路上生活という不運な暮らしで歯を失い、年金+生保暮らしでも健康なんて気にせずいきてこられたのであろう彼の人生に、こころのおくそこからおつかれさま、ありがとうを捧げたいとおもいます。



by issei_tachikawa | 2019-01-16 20:45 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)