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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:バンド・演劇・大道芸活動( 83 )


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ロス・サバドスで出演し、20曲くらい吹いた。今までにない面白さを感じられてうれしかった。
ひとことでいえば、ケーナの音が抜けてきたということか。
理由はいくつかある。
1つは、力まなくなってきたから。それはイメージコントロール&安岡ケーナ講座【約15分!)のおかげかも。
安岡さんに言われた。「音が抜けてないよ。ケーナ吹こうとしてるだろ。違うんだって。『ハーって言いながら下っ腹からいきぬいてみろよ。タンギングも逆だよ。舌を前歯にはさんでおいて抜くのさ。その両方を同時ににやってみな。力まなくなっていい音出るから。」と。
カルチャーショックでしたね。かって誰かさんに、「ケーナは鳴るのではなくて、泣くんですよ。」っていわれたときにも、ほほーって感じましたが、再び挑戦が始まりました。あと、力抜いてなんておもいながら、抜こう抜こうとして又力むという悪循環からも解放されつつあるかな。
もう一つは、PINOさんとの出会い。導師はぬらりひょんガールさん、出会いの場はステッチマルシェ。わすれないよ、絶対に。世の中、絶対ってあるのさ。
彼女のケーナ(いま俺が吹いているケーナ)その場で吹かせてもらった。
なんと!言葉がいらないくらいに、感じ入ってしまった。すぐに、PINOさんのアトリエに行って、結局2本買ったのですが、いかんせん吹ききれない。
ピッチが低いのです。これはもう現状ではどうしようもない。
ぬらさんに話したら、自分が気に入っていたケーナ(要するに今、今日も、おれが吹いているケーナ)をくださったのです。
これはもうなんつーか、感謝感謝、若葉町方向に足向けて寝られません。
彼女は、もう1ッ本のPINOケーナを仕入れてきて、それも見たらなかなかの出来です。「もしかすると・・・」という気がするのですが、もうわがままはいえません。移り気もいいかげんにしなくては。
というわけで、10時から3時まで、楽しく吹き切ることができて、しあわせでした。
★★★写真には、今のケーナは移っていません。左から、多田(ビエントスの太鼓だった人の作品で販売は多田さん)ケーナ、ルーチョ・カブールのサイン入り(本人確認しました!)ケーナ、コチャバンバで買ったもの(?違うか?)、田村さんからの借り物ケーナ。この後、田村さんに返してから、約3年間の「修行」が始まるのです。今に至るまでに、3本以上替えたかなー。
何年ぶりかで練習聞いた井上君から「吉村さんのケーナ、なかなかいうこときかないようですね。」といわれて、ショックを受けて、いまに至ります。
ケーナ、っておれにとって、何なんでしょうか?『老子』読みながら自分の頭で考えつづけます。インターネット知識ではあかんぜよ。
●そうだ、びよさんから教えていただいている「身体発見」のこつも生きてきてるような気がします。「伸ばすんじゃーなくてひっぱられてる」ていう感じね。宇宙からのエネルギーの直感かな。
○○今晩は、『老子』(23章)「聞いても聞こえない言葉を受け取とる」を読んで納得。

by issei_tachikawa | 2019-11-09 19:45 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)
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ぼけ丸さんは、本名溝田幸、70才でオリジナル70曲、途切れず歌いきったコンサートは楽しかったな。
元西多摩生協職員だったことも有り、「かけこみ亭」とは羽衣・谷保の隣同士でもあり
最近では交流がさかんになってきました。
日曜日は、2時から、さんきゅうカフェで投げ銭ライブやります。歌って踊って、わいわいやろうぜ。飛び入り?たぶんOK
れいわの登場と2名当然の喜び共有し、来年衆院選、次の総選挙で世直し徹底のスタートを祝しましょう。
そうです、すべての武器を楽器に、世界先住民連合が、おれたちの命の連帯をみまもっていてくれるよ。

by issei_tachikawa | 2019-08-03 04:29 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)

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ぼけ丸さんは、本名溝田幸、70才でオリジナル70曲、途切れず歌いきったコンサートは楽しかったな。
元西多摩生協職員だったことも有り、「かけこみ亭」とは羽衣・谷保の隣同士でもあり
最近では交流がさかんになってきました。
日曜日は、2時から、さんきゅうカフェで投げ銭ライブやります。歌って踊って、わいわいやろうぜ。飛び入り?たぶんOK
れいわの登場と2名当然の喜び共有し、来年衆院選、次の総選挙で世直し徹底のスタートを祝しましょう。
そうです、すべての武器を楽器に、世界先住民連合が、おれたちの命の連帯をみまもっていてくれるよ。
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by issei_tachikawa | 2019-08-01 08:04 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)
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新大久保駅からパルシステムの本部報告に向かって徒歩5分、キャンドウ通り越すと左のセブン、そこを右折すれが会場はすぐ。
思い出の詰まった地域です。
今井さん(日本の国独資論、旧東独ツイーシャンク⇒井汲卓一を継承する構造改革論者、イッセーがH大時代に教わったせんせー)の葬儀も近くのお寺だった。何十年ぶりかの先輩、同僚、後輩たちとの再会、同窓会が復活するきっかけにもなった葬儀でした。「トラは死して皮を、人死して名を残す。」は、出口さんの常套モンクだったなー。かれがいたからおれは自治会活動に入ったんだな。浜田山のアパートで、なべもんごっそーになりながら、ジンセーを(恋愛歴と革命闘争、そして文学などを)かたりあったもんだ。理屈では「ベトナム戦争と日韓条約」の評価で、所論奮発だったゼミでも俺はいつの間にか「反戦闘争(実力阻止)」のリーダーになっていた。
もう一つの思い出が中南米音楽センターでのケーナ・サンポーニャ・チャランゴ教室。ワイナマユ(若い川)はここで生まれた。25年前位だね。
最初は12名以上いたね。コスキン・エン・ハポンに初めて出た頃は、男6、女6だった。それが、グルーポ・カンタティから高橋昌宏さんが抜けると同時に、女性6名が一挙に彼の後追って脱退する。
男6名(幸路、山口、井上、根岸、・・、おれ)困っていたら、他のグループから伊藤さん、武藤さん、田村さんが入ってくれて、そのあとも何人かの女性が加入脱退くりかえし、今では初期メンバー3名(幸路、山口、おれ)と女性1名で落ち着いている。
昨日のカンタテイ発表会は、9時開始、夜7時終了ごに打ち上げ呑み会というすさまじいスケジュールだった。
おれは、3時ごろ入場して、出番は4時頃、2曲だけ演奏して、すぐに引き上げてきました。
いつものライブなら少なくても6曲(30分から40分)、単独ライブでは2時間から3時間もやるので、楽々だとおもっていたら、とんでもない結果でした。
暑いのとアイマラ族イメージで裸足になり、ズボンは膝下までめくって、ティンク(けんかおどりのリズム)を披露したら、下半身に来てしまった。
吾種族アイマラ、サリリ(アンデスの旅人)、2曲で全力をだしきり、「よかったですよー、やっぱり年輪ですね。」とか「楽しそう。」とか、「笑い声がすてき。」などとほめていただき、嬉しい限りでしたが、そのあとが「地獄」でした。
家について飯食ったらすぐにベットイン、しばらく練習はお休みします。
でも、ワイナマユはとてもすてきです。今回でられたのは、幸路さんのまめな活動のおかげでした。改めてグラーシャスを。河本さん、島田さん、佐藤君、トッポ洋平さん、お久しぶりでした。次もお声かかれば出たいと思います。サイチェン


by issei_tachikawa | 2019-07-01 05:30 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)
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おれの音楽遍歴、いつから?中1頃の三橋美智也の古城を皆の前で大声で歌ってた頃からとすれば60年かー!高校の野球部ではバケイション(弘田三枝子)が18番だったな。でも楽器やり始めたのは、ズージャがやりたくて、テナーかっちまってからだな。
あこがれたコルトレーン来日コンサートは1967年だったか?でも当時はミュージシャンという生き物に差別と偏見もっていたので、グループサウンズブームでありながら「髪の長い(長髪)奴らは???」というより好きくなかった。
それがいつのまにかキャバレーで兄貴のバンドに入れてもらってテナー吹きまくってたのが、1974年?くらいかなー。それからだと今から45年前だ。
当時のキャバレーで踊りまくる客の風景、1990年ごろソウルのキャバレー風景によく似て居た。
4つのキャバレーで仕事ができた。ライブもいやっていうほどきいた。1968年の新宿ピットイン、山下洋輔トリヲデビューライブにもいた!ハッピー
高木元輝の絶叫スタイルのテナー、ノーリズム楽器でソロ吹きまくりの1時間、誰も退屈してなかったとおもう。不思議な空間だったなー。政治と音楽と映画と芝居と、漫画や小説さえも「革命前夜幻想」に浸らせてくれるのには十分すぎるほどだった。
あのままミュージシャンやってたらなー考えると面白い。
でも、世話んなったひとが反対で、20代後半で大学院挑戦を決めた時に、テナーは質に入れた。当然流れた。志は高いのだがなにせ金がない。先立つものもかせぎながらの受験だから結構大変で、毎晩のように友川カズキさんの世界(爆笑)
それから10年間くらいは、またまたノーミュージック生活だったのに、たった1ッ本のケーナとの出会いが俺の人生をよりいっそうカラフルにしてくれた。
まっちゃんがくれたウニャラモスのテープ、擦り切れるくらい聞いた。そして暗譜してしまったが吹けるようになるまでは長い時間が必要だった。
多田克美さん、渡辺淳子さん、福岡稔さんとの出会い、ワイナマユ、サバドスの皆さんとの出会い、約30年間アンデス音楽(フォルクローレ)を楽しんできた。
そしてジェンベに出会ってしまった。わがふるさと北アフリカのどこか、地平線に沈む夕日みながら祭り知らせる太鼓が鳴り響いてくる。
ジェンベ教室の先生は、KINGの佐野篤さん(あっちゃん)と津田侑佑さん、生徒10名位で、毎月第2第4火曜日の6:30から8:30まで、ステッチギャラリーホールで練習してます。明日はセンセー不在なので自主練らしい。見学自由ですから気楽においでやすといいたいですが、おれはパルシステム東京のコミュニテイワーク連絡会終了が6時なので出れません。見学は6/11とか25日の方が良いかな。


by issei_tachikawa | 2019-05-13 20:51 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)
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昨日の続きです。ベニートという名の由来は、ベニート・ファーレス、詳しくは存じませんが、メキシコ革命のリーダーだった。彼がメキシコ留学中に大家のおかみさんがつけてくれたとか。そっくりなんだってさ、ベニートに。
彼と会ったのは「中南米音楽センター」(新大久保)、このころパル連本部は、御茶ノ水⇒本郷3丁目⇒茗荷谷と移っていましたが、仕事帰りに毎週(だったよな?)通ってたんですね。ワイナマユというバンド名、コスキン・エン・ハポンにことは省略ね。
ベニさんと会ったのは、ケーナ教室(ワイナ結成前)の練習時ですが、いつもデパートなどで配られる紙袋に楽器いれてくるんですね。なんか、日雇いのおっちゃんみたいで、某大手銀行の支店長だなんて、夢にも・・でした。あと、タイかカンボジャかアジア系の人だと思ってました。メキシコ生まれかもとも。それから付き合うこと25年くらい?いままでいままでこの印象あまり変化なし。良し悪し別で、日本人っぽくないのです。
その理由、数か国語ペラペラですから、日本で外国人と交流するときは、必ず相手の母国語でしゃべってる。特にうまいのは、スペイン語、タイ語、英語だね。中国語、韓国語もなんとかいける。ただし、フランスは縁がなかったらしい。イッセーとどっこいかもね。まあこの点で、日本人っぽく感じない理由はおおむね納得していただけますね。
それともう一つ追加すると、どこいってもその現地のひととすぐに仲良くなってしまうとか。男なのに、わかれしなに、オーバージェスチャー的に手ー振ってくれる、これってうれしいよな。
そうだ、さんきゅうハウスのシンポジウムで、記念講演してもらったこともあるな。ちょうどアメリカのウオール街近くの(?)公園占拠の社会運動(1%対99%、格差告発の反貧困)が起きた年だった。大企業の経営者が「さんきゅう」応援してくれて、さらに格差を告発するアメリカの運動をプラス評価するような講演するってのは、聞いていて大変共感しましたよ。うれしかった。ベニさんありがとう!
今は引っ越しましたが、以前は東大和市内に住んでたので、帰りの西武線では萩山までいっしょ、家族ぐるみのつきあいになりました。
わが家でテレビがなかったので、彼が引っ越すときに、くれました。ついでに、ファミコンもついてきた。3人の子供らは、長男が中学1年になった年、テレビもらいにいくときの彼らのはしゃぎようは永遠に忘れません。いまでも思い出に浸りながら目頭が・・・です。
ベニさん、ワイナマユとさんきゅうハウスを支えてくれてありがとう!補聴器がついたので、あたらしいレベルで新生ワイナマユ、もっと楽しくできそうだね。新曲に挑戦しよう。
★アメリカ大統領選、バニ―・サンダース候補が当選しますように、お祈り中。


by issei_tachikawa | 2019-04-11 09:27 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)
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ベニートの声が変わった!ギターのリズムも、ケーナ吹いてる時の動きも、なんだかよーわからなかったが今までとは違う。
コンドルは飛んで行くの歌、思い切って裏をうたったが違和感なくハーモニーしてくる。途中のケーナもおもい切り吹いても歌声(ベニートの)とハーモニーする。
なんかうれしくなってくる。あというまに1時間が過ぎた。
終わってからベニート曰く、「補聴器付けたんだよ。」と!!!!!
えー!今までまともに聞こえなかったんだー。よくやってたよなー。
もともと幸路さんの声とイッセーの声はハーモニーしていた。これにアンハーモニーのベニート声が加わって、音量は増すが、ストレスもエスカレート。
でもお客様には「楽しそう。元気が出ました。」なんて励まされてきて、まっいいかと妥協してくること25年、今晩をもって新生ワイナマユ誕生かもしれません。
ベニート75才、マサ人77才、イッセー73才、ちび・でぶ・のっぽの男に、ちびの女性が1人加わり、ゆっくりゆっくりアンデス音楽楽しんでいきます。
次のコンサートがたのしみですね。
★明日の木カフェ、メニューはお寿司ですぜ。わさびもねわさび、奥多摩から産直です。シェフはペペちゃん、終わってからみんなで、早稲田の「あかね」までレッツ・デモンストレーション、たたかいはここかーらー、たたかいはいまからー。
★ベニートは写真右側、左がマサト、うしろがおれです。紅一点は個人情報ですからのせません。

by issei_tachikawa | 2019-04-10 22:30 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)
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会場「カフェ開」は、自宅を改造したライブハウス、メキシコ経験の豊かさは、フリーダ・カーロへの関心に表れている。
カーロは、様々の困難を乗り越えて独学で画を学び、シュールな絵が魅力的であると同時に、なんと、トロツキーを匿ったことでも有名らしい。知らなかった。
上記写真中央が彼である。
1938年に第4インターナショナルを結成して、国際共産主義運動に意欲を示していたが、スターリンの追っ手(秘書の恋人をよそおって近づいてきた)に虐殺された。
『スターリン伝』を執筆中であったとのこと、残念だ!
演奏中は忘れていたが、帰ってきていろいろ思い出すことが多い。
しかし、スターリンの追っ手のしつこさは、想像を絶するね。トロツキー家族はことごとく暗殺、または自殺を装った暗殺されている。JFケネデイ家も不幸だったが、比ではないね。あと、暴力革命絶対主義(新左翼の一部の)なれの果て的な「内ゲバ」とも比ではない。話題変えましょうか。
演奏自体はサイコーでした。ミスも多かったが、3日間断酒の効果てきめんで、おとのさきっぽがよく聞こえた。ユリはいままでで一番気持ちよく吹けた。
終了後は音喜多さんらと交流後、中川原のカフェ(緒方兼さんの弟さんが経営)で打ち上げしました。この時の話題の中心はベニさん、「どっから見ても・・・の・・・には見えませんね。」と言われた。そうそう、日本人っぽくもないしね。
メキシコ革命の雄、ベニートファーレスに瓜2つなのだそうだ。
人懐っこさはメキシカンと比べてもそん色なし。でもシャイな部分もあるよ。長い付き合いなんでわかるんだ。
社長はかれのことたよりにしてたんやろな。今はたいへんだろうね。
藤森さんの次のペルー大統領はネイテイブで、就任式には「ハチャウル(大いなる日)の愛ぶき=コンテスタードだったそうだね。
そうそう、ヌラさんからいただいてしまったケーナ、PINOさん制作の、だんだんと体になじんできます。ヌラさんに、重ねてグラーシャス・あ・ら・ビーダ(写真は違いますよ。これはベニさんのケーナ)

by issei_tachikawa | 2019-01-12 21:44 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)
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ギリヤーク、ありがとう!写真集(鬼の踊り)見たのは、1980年、熊野寮の部屋で。京都で孤立する自分は、たった一人で大地の上で演技する彼の生きざまに感情移入してしまいました。
憧れていましたが、まさかねー、直で話せるとは思ってもみませんでしたが、い風来のグループ展(上野美術館、い風来の土偶の背景にカンジュ蜂起の画が出ていた。)見て、外に出たら目の前にギリヤークが。
演技終了後慌てて片付けしているところに、ぼくは声かけました。というより「あれ!?日本にいたのー?」という調子でした。
そしたら「うん、今度はブラジルに行ってやるんだよ。日本でやると反応が鈍いんでさみしいけど、パリとかリオじゃーおわるとお客さんから抱き疲れたり普通でね。日本は寂しいね。」なるほど、アイシンクソーだねと感じました。
それから、しばらくたって、電話で「パフォーマンスを8mmでとらせてくれませんか。」と懇願したのですが、固い決意で断られました。「映像で残すことに意義を感じません。むしろいまここで1回限りの表現、コピー不可能性にぼくはこだわっているのです。」といってました。「テレビとかマスコミも出ません。」ということでした。
1968年10月に渋谷のハチ公前で街頭演技を始めてから、変わらぬ出し物、裸一貫大道芸だけで食ってきた心意気、マジでかっこよい。
でも、昨日は新作として「果し合い」が演じられました。チャンバラが好き、アラカン(嵐勘十郎)のファンだそうです。
新作披露の意気込みはわかるし、応援するために来ているのですが、目の前のかれは88歳で数年前からの原因不明の病で立っているのがやっとという感じ。
身につまされる1時間、でも観衆は誰一人として帰らない。2時に始まり3時まで1時間のパフォーマンス、それでも誰も帰らない。
演技終了後の彼を取り囲む人の輪は広がるばかり。おれは何か心配になってきて、人の流れを観察し続けました。
やがて左側の人々は一人二人と立ち去り。ギリヤークを囲む人の数も10人位に減ってわかったことが一つ、写真集にサインしてもらってるんだね。へー、俺の神経とは違うんだね。おれは一刻も早く彼を解放してあげたい。早く家に帰らせて横になってもらいたい、そう願っていた。
まあでもいいさ、価値観の違いの溝を埋めようとは思わない。だだかれが最後に言った一言は忘れないでいてほしい。「身体もこんなんですが、あと2年は頑張ります。」というギリヤークを改めて応援しようと思う。
ワイナマユも最年長が来年は77歳ですが、80歳になっても今程度の、いや今よりパワー低下しても良いから、できる限りの表現活動を続けようと思いました。
さんきゅうハウスも死なない。ワイナマユもまだまだこれから。
ギリヤークさん、ありがとう!グラーシャス・ア・ラ・ヴィーダ

by issei_tachikawa | 2018-10-09 17:19 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)

遊びせんとや生まれけむ

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歌が生活に溶け込んでいます。毎日「さんきゅう」がよいなのでチャリこぎながら大声小声で唄っていきます。
最近ネーネーズとか沖縄系にかたむいてるんで、「花」が出てくる。まだかんぺきではない、そのうちなんとか。
行に出てくるのは「新選組」(三橋美智也)のカバー、「フードバンク立川」のうた。「たーまーのかわらーにーからすがさーわーぐ、かあかあ!」なんてやってると、本当のカラスに呼びかけられたりも。
あと、よく出るのは「ら・ペグル」とか「フランス国家」(ラ・マルセイユだっけ?、いや複数形か?)前者、3番まで歌える人は、世界中でもおれだけ?メイビー、イッツツルー。宴会芸の一つにしています。場違いになることもありますが、あえて強行した羅けっこううけたのでむでなでおろしたことも。これは、死んでも歌い続けたいな。
ジュリーアンドリュースもんからいくつか定番になってるものも。サウンドオブミュージックは、いつまでもいいね。ちょうど吸収暗記力が人生一番のころ感情的にもフィットしたのでくりかえしうたっているので、忘れないのです。
バンドでは、約50曲の歌を覚えてますが、チャリこぎながら口をついてでてくるのは、やっぱり18番の「サリリ」(アンデスの旅人、S・カジェハス作詞作曲?メイビー)ライブではいつも最後にやります。肉体の限界までなんかいやっても乗れる曲ですね。あきがこないなー。
あと、アンデスもんでは、意外にバンドでやれない曲が口を突いて出てくる。アルサミポンチョ、レクエルドス、ワージェペンテイミエント(悔恨?だよな)
帰りしな、国立音大のとこ曲がってあと5分で我が家だというときによくでてくるのは、「峠の我が家」(ちがうか?)あれあれ、みどりのおかにあかいやねーとんがりぼうしのとけいだい、ってやつね。
というわけで、今日もいろいろ問題続出でしたが、なんとか無事天職遂行させていただき帰ってまいりました。ご褒美は、なんと、「開夏」((近所の酒屋でしか売っていない一番搾り純米酒)もちろんひや!

by issei_tachikawa | 2018-08-11 22:53 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)