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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:家族、地域家族( 79 )



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これで2回目の案内です。吉村酉二の夢と題して、お弟子さんの講演があります。15日の体話カフェで、びよさんはじめさんかしゃのみなさん濃淡はありましたが、小生としては以外の関心を示していただき、なんと、10/19(火)の対話カフェを29日に変更して迄して、19日は講演会に来ていただけるとの事。光栄です、嬉しいです。
丁度、酉二兄の長女、葉子と家族も参加するし、妹の恵実とも会える。深谷にいるまーくんもくるし、わがやも2人で参加します。ミニ緑風会になるかな。
FBつながりの、みどりちゃん、じゅんさん、momoちゃん、情報行ってるかなー。
あと、11月5日(火)菊池びよさんの「身体発見動場・体話カフェ」で、希望者には招待券差し上げます。

令和元年度 秋季特別展 開催要
項1 名 称 開館 10 周年 ・ 姉妹館提携 記念 秋季 特別展
Bonsai, Beyond、the Border
海を越えた盆栽家 吉村酉二―ニューヨーク、 1958、
2 趣 旨 本企画は、 盆栽の国際化に 関する 物事 を取り上げる 展覧会として、 「 Bonsai,Beyond the Border (国境を越える盆栽)」と シリーズ名を立て、 開館 10 周年記念及 び 米国立盆栽・盆景園 と の 姉妹館提携 記念 と し て 特別展 を 開催する もので ある。特に本展では、 戦後の日本と密接な関係を持 つ アメリカを舞台とし て、 戦後間もない日本からニューヨー クに渡り、盆栽文化を広めた日本人盆栽家・吉村酉二 1921 1997 の生涯に焦点を当て、現代に至る アメリカ盆栽史 の一端 を ひも解いていく。“アメリカ盆栽の父” 、“世界の人間国宝” と称えられながらも 、 日本国内では認知度の低い知られざる 日本人盆栽家の 功績を改めて考察する 。
3 主 催 さいたま市大宮盆栽美術館
4 協 力 米国立盆栽・盆景園(申請中
5 後 援 NHK さいたま放送局、 株式会社 埼玉新聞社 、 株式会社テレビ埼玉、一般社団法人日本盆栽協会、東日本 旅客鉄道株式会社大宮支社 (申請中
6 会 期 令和元年 10 月 12 日(土 11 月 24 日(日休館 日 木曜日
開催日数45 日間 /開館日 39 日間
7 会 場 大宮盆栽美術館 企画展示室
8 展示構成 ( 吉村酉二の夢―米国立盆栽 ・ 盆景園
( 吉村とクリーチ―アメリカへの扉
( 渡航―ニューヨークから世界へ
( Mr. Y と呼ばれた男 ―アメリカ盆栽史の開拓者
( 夢の続き 盆栽、海を渡る
9 出品物 写真 、 書籍等
10 関連事業 (1) 講演 「 日本の父、師“ Mr. Y ”の思い出 」 (仮題)
日時:1 1 月 19 日( 火 1 4 :0 0 15 3 0
会場:講座室
内容:吉村酉二の弟子で、吉村が遺した資料の継承者である盆栽家 ウィリア
ム・ヴァ ラ ヴァニス( William N. Valavanis 氏 〔 インターナショナル・ ボンサ
イ( International Bonsai 、アメリカ北東部ロチェスター在住 〕 が、吉村の
事績について紹介する。
備考:英語講演、 同時通訳、 聴講無料、定員 4 0 人、事前申込制(往復はが
き、 11 7 (木 )必着

11 観覧料 通常の観覧料とし、特別料金は徴収しない。
・一般 310 円 (団体20 人以上200 円)
・高、大生、65 歳以上 150 円 (団体20 人以上100 円)
・小・中学生 100 円 (団体20 人以上50 円)
12 出版物 図録(A4 判、64 ページ、1,000 部、販売価格1,000 円)予定
13 印刷物 ポスター、チラシ
14 広 報 市報さいたま10 月号、当館HP およびSNS、広報用ポスターチラシの設置および配布、ニュースレター、記者発表等
15 担 当 さいたま市スポーツ文化局文化部大宮盆栽美術館
学芸員 田口(文)、 林
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●写真説明:冒頭は、父と母、元気であれば、当年128才と121才、、父・鋭治(としじ)は1891年(明治34年)生まれ、母・文(ふみ)は、1898年(明治41年)生まれです。
最後のは、ゆうじ兄を真ん中に、右が長女の洋子、左が恵実。


by issei_tachikawa | 2019-10-17 00:06 | 家族、地域家族 | Comments(0)

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酉二兄は12人兄弟の2番目です。ゆうじという名の人は多いですが、たぶん酉二というのは稀(1人だけ?)だと思います。
長男は生まれて間もなくあの世にいってしまったので、父が(もちろん母も)2番目の息子に期待したものは途轍もなかっただろうと思います。
比べると、おれなんざー12番目のすえぼんですから、まあ、グリコのなんとかみたいなもんですわ。(と自虐ギャグ)
酉二兄は日本盆栽協会の推薦でアメリカに渡り、ニューヨークに盆栽学校を開きました。1950年代の事かな?
渡米前に、中目黒の家で米兵や北米人相手に盆栽教室を開いて、何人かの弟子とであって、いちおう準備して渡米したのですが、なかなかすぐに事業は成功しなかったようです。「黒人やイスパニックが住むゲットーに住んで、ゴミ捨て場の家具拾ったりしたこともあった。」というのは二女の恵実ちゃんから聞いた話。
ゆうじ兄のお弟子さんで、盆栽家ウイリアム・ヴァラヴァニスさんの講演があります。
11月19日(火)14:00~15:30
同時通訳、入場料だけですから、500円以内で入れます。
会場は、さいたま市大宮盆栽美術館
★ゆうじ兄は、ぼくが高3のときに帰ってきて、「アメリカに来て俺の仕事手伝わないか」と誘われました。しかし、プロ野球選手になる夢があったぼくは魅力的な提案も断ってしまいました。「世界旅行させてやるから」ともいってたなー。
11月には、長女の洋子も恵実も、洋子の娘と彼氏も来るらしい。
さっき、甥のまーくんを誘いましたら一応オウケ―ということ。久しぶりでミニ玉風会になりそうです。定員は40名、事前申込制です。参加希望の方は、イッセーに連絡ください。盆栽業者といっても、ゆうじは、世界政治、歴史、哲学、文学などにも大いに関心があり、ぼくも自分の家がブルジョアの趣味的な商品を扱っていることに心底コンプレックスをもちながらそだったので、マルクス主義の「洗礼」受けて、パルシステムに勤めてからは誰にもその話はしておりませんでした。
このへんが古い人間なんでござんす。でも今73才、いつ行ってもおかしくない年齢になって、事実は事実なのだから、ジョジョにオープンしていこうかとおもい投稿いたしました。
★蛇足ですが、鉢植えと盆栽は楽しみ方が違います。もちろんぼくには、ぱっとみでどちらなのかがわかります。一言で言いますと、前者は直接・単体で美しさ・色合い・匂いなどを楽しむ。後者(盆栽)は、総合芸術なので、庭づくり、卓、掛け軸、展示場となる部屋そのものを味わいます。
天地人という基本形、直幹、吹き流し、懸崖、寄せ植えなどのアレンジ形がありますが、針金できのかたちをこしらえたり、完成までには時間がかかる。終わりがない?
わが家には、樹齢500年とかもありました。ひえ-つ!
あと、でき方は、実生、挿し木、接ぎ木など、英語で盆栽のことを、ナチュラリイ・duerfted・treeいうのはおもしろい。
小さな鉢の盆栽も大地に戻せば、大木になることも。
ぼくは毎朝、小鉢の紅葉に水をやり、1日を始めます。


by issei_tachikawa | 2019-09-17 17:57 | 家族、地域家族 | Comments(0)

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佐野くん(やっさん)に誘われて、上石神井方向に移動した。どこ行くの?何しに来たの?誰と会うの?よーわからんでも、ついつい引き受けてしまう。最近似てきたか
な、かみさんに。「34年のつきあいだからなー。」(われなべ)
行先は、水曜日カフェだった。最初は、どこでもカミュになる。(異邦人)1人はグラサンかけた男性、50代?その右の男性は、誰かにヨー似てるがおもいだせない。その右側の男性が司会進行(リーダー?)らしい。その右側が青シャツ男性(何とか館の保存NPOやってるらしい)
女性が2人、2人ともどこかで会ったような気がするがこれも思い出せないで、会が進行してゆく。5:30に始まって、6:40まで聴いていても、この人たち「なんでここにあつまっとるんやろ?」という問が解けない。
そしたらやっさんが「7:30までなんですからそろそろイッセーさんの話を」とおれにふる。
で、勝手に気をまわして、さんきゅうはうすのカフェについて40分お話をさせていただいた。要は、場所を維持することで、多様な人が集まり、きがついて振り返れば9年たっていたということになる。鈴木忠雄さん(仮名)との付き合いの話は、事実に基づく教訓です。結論は、喪失は獲得にもなる、ということ。いいかえると、障害は可能性でもあるとか常識的見方からの解放(自由)をいかに?ということ。
自分で言うのもなんですが、話は面白かった。でも彼らのためになったのかどうか?これは聞いてみないとわかりませんが。
そして、7:30から主宰の手作り酢豚ならぬ酢どりをいただきながら、しばし談笑、各自の本音がだんだんと出てくる。日本人のあつまりは気い使うなー(笑い)
で、終わってからやっさんの家に泊まって、「純米酒」飲みながら、じんせーをかたりあった。2回目の宿泊、話はめちゃおもろかったのですが、翌朝、「あっ!いけねー連絡してなかった。」と気づいて、家に電話したら、神さんが出て、「お誕生日おめでとう。」だって。うれしかったよ。
やっさんと話していると、カムイやパチャママやインテイや、世界中からカミサマがおりてきて、やさしい気持ちになる。やさしくなれると弱いもの、小さいもの、苦しんでいるもの、いじめられてきたがしっかりと生き抜いている生き物たちとコミニケーションができるようになる。1950年代、60年代の世田谷の生き物たち、1968年3月で「個体的所有」の世界にはいっていった俺の内面外面生活の話、エンドレスストーリーが続く。
ふとわれにかえったら、翌朝の9:30でした。やっさん、むらやまさん、うちぼりさん、さんかしゃのみなさん、楽しい時空間をありがとう。
令和新撰組、これは面白い。「こんな時代、こんな日本で、平気な人間たち、なんとかしたい、なんとかしよう、なんとかなる、それはすべてあなたしだいなのです。人生っておもいどおりにしかならない。一寸先に光を・・・」

by issei_tachikawa | 2019-06-16 10:53 | 家族、地域家族 | Comments(0)

予感的中、ありがたい

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家族をつくることに懐疑的だった僕が、40歳になって「拾われて、」、3人の子宝を授かり、いろいろありましたが孫迄会えるとは、20代には想像だにできませんでした。
でもなんとなく感じていました。おれが100歳越えても次男進吾は50代、いつも自然体で「若い世代」とコミニケーションできることが、おれの元気を支えてくれているって。
今日、長男光太の「婚姻届」に必要事項記入して速達しました。2人目の孫にも会える。相手さんは静岡在住、医療系ファミリーです。本当にありがたいことです。
社会問題の解決責任だけではない、30年後の「社会」が見たい。人生とは修行であり、毎日がトレーニングなのであります。
子どもらと家族にありがとう言いながらの73歳です。
(生かされてあることの実感強し)

by issei_tachikawa | 2019-03-13 22:23 | 家族、地域家族 | Comments(0)

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なにしろみんな遊びに貪欲だった。団子になって遊んだしノリがよかった。

光太中学生、進吾と野花が小学生の頃、台所に特設リングを設けて殴りあった。グローブは座布団で代用。分かったこと:下は思い切って殴りかかるが、上はセーブしてなぐるので、誰も傷つかない。人に殴られると人を殴った場合にどれ程痛いのかがカラダでわかる。心配した事故や怪我は起こらなかった。

同じ頃、近所の公園を制覇していた。国立・水の公園、東大和・森の公園と郷土博物館(プラネタリウム)、その他柏町団地の運動場、砂川や野山北公園などで泥んこになって遊びまくらせた。雪が降ってきたら待ってましたとばかり、夜でも砂川公園でそりを走らせた。泥んこになって還ってきた子どもらを風呂場で洗うオカアは大変だったでしょう。

圧巻は、宅地造成で伐採され山のように積まれた空き地での泥合戦。誰かが石つぶてを投げることもあったが誰も怪我しなかった。

近所の金魚屋さんのことを「水族館」と呼んでよく遊びに行き、前のお店(ヤクルト)のおばさんからプレゼントをもらうのが楽しみだった。

東大和の駄菓子屋さんは結構受けていた。

柏町団地では、団塊世代のような缶けりもやった。

お芝居を3人で自作自演した。長新太さんの絵本が人気だった。

昭和記念講演の花火の日には、屋根に上ってナオベエばあちゃんの手料理をつまみにビールを飲んだ。子供がふざけて人を押すのでヒヤヒヤした。落ちたら怪我ですまなかったろう。これはリスクの高い遊びだった。中古を解体し家を新築中の足場を夜に上り下りして遊ぶこともあった。

家族で映画を見に行った。せんと千尋(ちひろ)、星になった少年(主人公が進吾そっくり)

絵本、童話(グリム、スプーンおばさんなど)の読み聞かせをしないと寝付かないので、毎晩のようにせっせと本を読んで聞かせた。『おふろやさん』では、アドリブの読み方も工夫して受けた。

『14匹のシリーズ』はみんな大好きだったな。こっちも楽しい貴重な時間を過ごせた。

2008年秋葉原での無差別殺人を見て 「そういう気分になることはある。」(進吾)という。でも、うちの子供たちは絶対にやらない(出来るはずが無い)と言い切れる。親からの暴力的仕打ちを受けていないし、将来を期待されて育っている。

3人とも友達に恵まれている。悩みを相談する相手もいる。

人を好きになり、でも失恋したり、裏切ったり裏切られたりは何度も繰り返しているが、その体験を通じて他者に優しくなれる。自分が傷ついて癒されると他者の痛みにも共感しうるのだ。

3匹との共生、植物自然とのコミュニケーションが彼らのやさしさを育んでいる。

テレビを個室で独占するような家庭文化を容認していたらこういう人間にはならなかったであろう。

ガス抜きもうまくやってきたし今のところ我が家の共育は成功しているといえよう。

しかし1家庭の幸せにあぐらを書いていていいのか?「誰かにやられてたまると、違う誰かにやりかえしてしまう。」のが人間、弱い者がさらに弱い者をたたいてしまう。世間ではやばい状況だ。せめて我が家が地域の駆け込み寺になってくれれば良いと思う。


by issei_tachikawa | 2018-11-17 21:35 | 家族、地域家族 | Comments(0)
山本芳郎、命日は2012年11月7日、87歳、死因は肺がんでした。ブログを探したら今まで4回、彼について書いています。2012年12月25日、49日、2013年11月1日、3回忌、2016年8月6日、そして2018年11月4日、7回忌でした。亡くなる前にも2010年
10月1日に書いています。
今まで書けなかったこと、どうしようか悩みます。少しだけ書かせてもらいます。
1つは、彼は僕だけにしか話してないことがありそうです。小さい頃のおやじとおふくろの話し声に痛く感じた体験。兄さんとのやりとり。住宅ローンの組み方の事などなど。今思えば信頼されていたのかもしれません。「ずーっと結婚に反対されていた。」というのは僕の思い込みだったのかもしれません。
2つめは、囲碁の話。近所の碁会所に毎日のように通っていた。ぼくはそこにいったことがありませんが、「ガス室のようだ。」といっていました。副流煙の害を察するに、本人はたばこ吸いませんでしたから、ぼくが碁の相手できていたら、と考えると残念であり、すまないなーと感じます。
3つめは、主義者的な強さの事です。保谷のおじちゃん(哲郎兄)にも通じる強さを感じさせる人でした。27年間のお付き合いで、外食したことが1度もありませんでした。残業で遅くなっても途中で食べないで家で食べる。不思議でしたから理由を聞いたら答えは、「家族の未来のため」というもの。いやー、ことばを失います。こつこつとためてきた「資金」で、どんだけ救われたか。改めて、芳郎さんありがとう!
1985年の暮れだったとおもいますが、西国の以前の家にお邪魔した際に、だめだしされました。結婚はどうしても認められないとおっしゃる。
理由は、父と母で違いました。父は、「生涯稼得賃金シミュレーション」に基づいて反対しました。母(瑠璃子さん)の反対理由は、「いやだからいやなんです。」というもの。どちらもかえってそれからの労働と生活の励みになりました。
小学校4年くらいからレールから脱線して紆余曲折、波乱万丈で生きてきた僕にとっては、反対されればされるほどに、やる気が高まっていったのです。
ということは、立川生協の奇跡的拡大を支えてくれていた陰の功労者は、結婚に反対してくれた両親だったといえなくもない、ですね。
勿論、年食って子宝に恵まれたことも幸運でした。病気しないで、事故には会っても死なないで、家族5人ここまでこれたのも芳郎さんあればこそです。
墓の前で坊様がおっしゃっていました。「相続というと財産のことばかりが取り上げられますが、一番大切なソウゾクは、個人をしのびながら集まられるみなさんのこころなのです。」と。マジにそう思いますね。
来年はいくつか嬉しいことが起きそうです。吉村、吉田、山本、草野、伊藤、佐藤、高橋、草間、菊間、宗、奥山、鈴木、親戚ってありがたいものです。芳郎さんありがとう、瑠璃子さんありがとう長生きしてください。アラハンお祝い準備せねば。
【生涯稼得賃金シミュレーション】
その時芳郎さんは、日経新聞の切り抜きを僕に見せながら、「あなたがこれから20年どんなに懸命に働いても、普通のサラリーマン40年間に稼ぎためる金額の、半分又は60~70%くらいしか残せないでしょう。ということはうちの娘に保障できる幸せもその程度でしかないと言えます。」とおっしゃるのです。
反論できませんでした。できませんよ、無理です。僕だって、父親の立場で、40過ぎようとしているのに無一文のホームレス状態の男に、むすめをあずけられませんから(大笑い)
結果的に彼の予想数値はみごとに外れました。ぼくは少し配達しただけで、常務になり所得は15万円(全職員一律)でしたが、3年で5億円の目標も超過達成し、1987年か88年には生協新聞で「前年比伸び率NO.1」になりました。
仕事、面白かったな。好き放題やらせてもらった。道なき道を歩ませてくれた、生協の神様に、サルー!

by issei_tachikawa | 2018-11-06 10:03 | 家族、地域家族 | Comments(0)
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パソコン部屋の床に茶色の日記帳が落ちていたので、ざくっとあけたら、光太とイッセーの会話記録が。以下紹介します。
「おとう、トイレのカレンダー、もうあと1枚で終わっちゃうね。」(光太)
「うん」(父)
「向こう(リビング)のもそーだね。」(光太)
「うん、12月でおしまいなんだよ。1年が終わったのさ。」(父)
「ふーん、いやだねーおわっちゃうなんて。」(光太)
「また新しいのが来るから大丈夫だよ。繰り返すんだよ、時計みたいに。」(父)
これ聴いた彼は、ほっとした顔つきでした。

この長男も今は30歳、静岡県富士市で働いています。

昨日からの雨で、涼しくなりましたね。でもまだまだ暑さはこれから。暑中お見舞い申し上げます。イッセー拝

by issei_tachikawa | 2018-08-07 10:10 | 家族、地域家族 | Comments(0)
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夏になると、近くの公園で「いっせー体操」しています。(当然だと言われるかもしれませんが)時間帯を変えると違う人や生き物と出会えます。毎日おんなじでは「マンネリ(ケガレ)」するので、意図的にずらす方が人生後半戦よりたのしくすごせるかも。
今日は祭日なので、家族連れの散歩が多い。今日の出会いは、小学生の娘さん1人の若い(30代?)ご夫婦。
娘さんの甲高い声が聞こえてくる。「おとうさんたばこすえばー。」だってさ。母は無言のまま。言われた父さんも無言のまま歩いてゆく。
そしたらローラースケート押していた娘さんが母のくつにひっかけたらしく、母が「なんでふむのよー!」と怒る。
そしたら娘さんが「おかあさんなんでおこるのー?くつがよごれるからー?」だってさ。たったこれだけの会話に、この家族の三世諸仏が垣間見える。
いろいろあるが、今の救いは、娘さんが発した最初のひとこと、「おとうさんたばこすえばー。」だね。この子の感受性、豊かだよなー。母は日常生活のストレスに潰されそうなのがわかりますが、頑張ってほしいなー。こどもから学んでほしいなー。子ども扱いしていては申し訳ないという感情にめざめるかどうかだなー。
という話をあたまん中で反芻しながら、自治会集会室の資源ごみおきばの容器にアルミ缶を入れに行く途中、ご近所の2階から、母親が怒鳴りまくっている声が聞こえてくる。相手はこれまた娘さんだ。
希望の直後には絶望か。あの目黒のこども、本当にかわいそうだったね。なんどでも合掌しつづけます。イッセーが積み重ねてきた過ちの数々、反省と懺悔抜きには前進できません。暑いときには、開経偈を。
★公園では、正座して「御唱念」を、胡坐組みなおして「開経偈」を唱えています。
今日及び7月に誕生日の人、午後のKINGライブに来ると、ラッキーチャンスだぜ。イッセーからプレゼントあり。
★写真のとりは?絶滅危惧されていたのですが、今は80羽に増えているそうです。中島明夫さん提供。ぐら^シャス・あ・ら・びーだ



by issei_tachikawa | 2018-07-16 10:05 | 家族、地域家族 | Comments(0)
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おやじは15歳に盆栽やさんのでっちになって、84歳で他界する迄、ずーっと同じ職業だった。「おれはまったく学歴に自信がない。何そつかと聞かれていいづらい。今の世の中、お前たちにはせめて満足な教育を受けさせてやりたい。」といっていた。おやじありがとう。
そのおかげで、おれは、大学を2つも卒業できた。いまだからいうが、もってた財産は天文学的としかいいようがない。
1968年1月8日の朝、目が覚めたが起きる気がしない。体の中に鉛を流し込まれた様な状態、左下の奥歯がうずく。おやじの紹介で、飯田橋の飯島歯科に行ったら、根が化膿していて、歯茎がはれあがっていたのですぐに手術!左下奥歯3本抜いて金のブリッジを造った。
帰ってきておやじに報告すると、表情1つも変えないで「いくらした?」と聞く。60万と答える。会話はこれで終了!すべて払ってくれた。おやじー!今の貨幣価値に還元するといくら?1970年の大卒初任給が4万から5万くらいだったから、200万円以上か?30年近くもったんだからありがたいことだ。金には代えられない命の価値を実感する。親の愛も
こういうおやじなのでたよりにはなったが、「何やっても良いから一番になれ」といわれつづけるのには反発した。
「なんで結果に順位つけんのよ。1番がなんで良いの?びりでもいいじゃん。そのひとがえらぶんだから。」というのが俺の主張。
順位より協働がおれのテーマだった。
いろいろあって考えた。結論だけ書くとこうなる。おやじのおやじは、吉村彦太郎順正(小説です)徳川最後の将軍の足軽大将(60人ぶち)でした。長州のクーデターで失脚してからいろんな仕事をしたが失敗続きで、長男のおやじは苦労して育った。妹の八重、弟の奏の面倒もみなくてはならなかった。太閤園の事業も順風ばかりではなかった。
おやじは、30代の前半、事業に失敗し、頭がおかしくなった。俗にいう「神経症」、「歩いていると後ろから何かに引っ張られて歩けなくなってしまう。」といっていた。
盆栽のお客さんに連れられて、教会にいって救われたらしい。
「一番になれ」というおやじの声がまだ聞こえてくる。家庭教育ってすごいね。とうぜんおれは負けず嫌いに育つ。いつも一番になれるわけではないから、結果次第でコンプレックスの塊になる。
さてとそろそろ結論だ!6月17日、立川市議会議員選挙、やるぜ!
これから砂川7丁目、八丁目のチラシ撒きです。見かけたら声かけてや、あほ!


by issei_tachikawa | 2018-05-21 16:59 | 家族、地域家族 | Comments(0)
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ついに初孫を授かりました。
のの、よくがんばったね。
母(ののか)はおれが48の時に
生まれて、「おまごさんですか」といわれたりしたことも。
俺と同じく「体育系」で、なわとびなんかいつまでもやってた。足もはやくて、小5のとき競走したけれどかてなかった。感受性も鋭い子で、今の世の中生きづらさをかかえていきてきたんだろうけれど、良い男に出会えてよかったね。小さいころ散歩してる時、路上にこぼれているガソリン(?灯油?)指さして、「おとう虹だよ!」っておせーてくれたね.天国の芳郎さんに報告しなくては。
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by issei_tachikawa | 2018-05-20 08:22 | 家族、地域家族 | Comments(0)