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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

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あなたも「受任者」に

c0219972_228780.jpg今ひとつ気が乗らなかった「原発の稼動是非を問う都民投票」署名ですが、やりだしたら乗ってきてだんだん意欲的になり、やればやっただけ新しい発見や感動があります。

BIG ISSUE販売者(ということはどんな立場の人かわかりますよね)の金子さんが、100名近くも集めたそうです!驚いてくれ!彼はここにきてまだ3年半、2年前の12月に努力の甲斐あってアパート入居できたのですが、近所で40名もの署名を取ったとのこと、頭が下がります。

都内1万名の受任者のみなさん、まだまだがんばれますよね。イッセーも心入れなおしてやりきります。2月9日が期限ですが、1月中に成否のメドを立てましょう。有権者の50分の1=21万4236人からの署名が必要です。無効署名も発生しがちなので、余裕見て30万、いやこの際だから50万名分くらいは集めたい。

仮に都議会で否決されても、1000万人署名とリンクさせて、この一大事に関する国民の意思表明とすればよいと思います。

考えてみれば、明治維新でも第二次大戦後の「民主化」でも、本当に国民一人一人が主人公として政治が作られたことが無い。チェルノブイリ原発爆発後も、女性市民グループによる反原発運動の盛り上がりは数年しか続かなかった。集まった署名も確か全国で300万程度だったとか。

今度こそ負けられません。原発の是非を問う署名に比べて集めやすいかなとも思います。あなたもぜひ「受任者」になってください。まだ間に合います。
by issei_tachikawa | 2012-01-10 22:02 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)
c0219972_2233919.jpg僕は読んでいませんが、週刊誌で吉本さんが「科学技術の進歩は不可逆的であるから原発なくすのではなくて安全性を高めるのが筋」というような発言をしているらしい。鎌田慧さんが正月の東京新聞論説で触れている。これを読んだ友人が「吉本さんてそんなこという人なの?」と僕に聞いたので、ぼくはこう答えた。

「週刊誌読んでないのにそれだけで吉本さんを評価するのはどうかな。原発に関して今大切なことはもちろん再稼動を止めることだと思うけど、脱原発以外は認めない=向こう側、ないしは敵扱いするとちょっと違うなと思う。今問われているのはエネルギーだけでなく日本の政治経済文化の未来について、国民1人一人が意見を出すこと、草の根民主主義を地域(向こう三軒両隣がベース)で実現することだと思う。」と。

ついでだから吉本隆明さんの行動・思想について僕が思い出すことを書いておこう。

彼は60年代の新左翼に多大な(?たぶん)影響を及ぼした思想家だと思う。本来は文学者、詩人、言語学者的な資質かと思うが、実践的な責任をきちんと取る人生を歩んだ。

1940年代彼が最初に経験した闘争は、天皇制と戦争賛美からころっと変身して過去を忘れるタイプの組織や人間、逆に「獄中18年」を振りかざして違う意見に対してかたくなに自組織の正当性を守るだけだった共産党の人々だった。

そして1950年代末から1960年代には、日米安保条約とベトナム戦争に反対と言いながら、戦後の平和的な国内秩序のなかでの既得権益を守るだけで、戦争を止めさせる力を発揮しえなかった社会党や共産党の執行部派を批判しながら、新左翼の方に心情的な連帯を求めた。というよりブント(共産主義者同盟)の叛旗派などが吉本さんへ何がしかの希望を託して連帯を求めたのではないかと思う。

1968年3月のブント第七回大会開催中獄中にいた僕は、出所したら党が分解していたと言う悲劇の中でなんとかして立ち直れる思想的な拠点を探していた。(このような学習スタイルは今思えばいかにも男的、頭でっかち生活感希薄なのだが当時は同類多かった?)

そこで読んだ吉本さんの本で印象に残るのは3つ。『共同幻想論』(A)、『自立の思想的拠点』(B)、『転向論』(または『マチュウ書試論』(C))

レーニンの国家論では国家=暴力装置であり、階級闘争で労働者階級が勝利し労農兵士ソビエト樹立後は戦時供養さん主義を経て消滅していくとされていた。コレに対して吉本さんは、自己幻想、対幻想(家族)、共同幻想(地方自治体から国家)の成立を解き明かし、国家に対する主体的なタタカイが成立しうると言い切った。いわゆる「科学的社会主義」の没主体的な歴史と現状そして未来論への反論としては大変魅力的に感じたことを記憶している。

また学生は世直しの活動に入る知識人の一部になるのだが、政治にたいする生活の重さを真っ向から提起した人はなかなかいなかった。多くの知識人は男社会の縦型関係のなかで、自己否定の論理を空回りさせてつぶれていく。吉本さんには包丁片手に野菜を切り、たくましく生活しながら世の中も語るという安定感を感じた。紀伊国屋ではじめてみた浅黒い顔の彼は、どっからみても日焼けした建築現場の労働者だった。

学生運動に走りながらも、相手を論破することが自説の正しさを証明することと思い込んでいる髪の長い活動家が発する「気」に違和感を感じていた僕には、吉本さんの表情が救いだったことも思い出した。

そのうえで彼がなぜ原発容認になったのか?不思議である。いきなり批判しないで反面教師としておこう。娘さん(吉本ばななさん)はどっちなんだろうか?若森さんいわく「ヨシモトは東工大、化学だ、比べて山本義隆は物理学者、人智で対象を統御する可能性に関する認識の相違ではないのか。」と。うーんそういう見かたもあるのかー。友のエンポウより来るあり、また楽しからずや
by issei_tachikawa | 2012-01-05 21:00 | 脱原発・自然エネルギー産業の拡大 | Comments(0)

仕事始めに

c0219972_19444142.jpg経済産業省敷地内テント(原発新規建設・再稼動反対、輸出止めろ、子どもの未来を守れ等を訴えています)116日目、餅つきをやるというのでいってきました。

考えてみれば経済産業省内に勝手にテントを張って泊り込み、これからも脱原発を訴えていく拠点が維持されていることは3.11以前の状況下ではとても考えられないコトです。

福島の女たちの会、椎名さんに会えました。「昨日山谷に行ってきて良かった。根はおんなじだと思いました。」とおっしゃりながら、握手を交わす彼女の眼にあふれる涙が・・・。いろんなつらい記憶が一挙によみがえってきたのでしょうか。ぼくの脳裏には、一本松や浪江町の草ぼうぼうの田んぼ風景が・・・

下山さんとも昔話、彼の包容力に感心しました。日本山妙法寺の坊さんが祈りを込めて・・をたたき続けていました。あそこは砂川、三里塚などでもいっしょにたたかってくれた。今も健在。

そうだ明日からMさんにサラのお弁当配達開始、金曜日はセカンドリーグ運営委員会、そうそう元パルシステム山梨専務理事の高橋勇さんが甲府で起業されたとか。店名は、「鉄っぱん」広島風お好み焼きが売りらしい。今度お邪魔しよう。

頂いたお年賀にはすべて手書きでお返事書いて出しました。今日頂いた分はこれから書きます。毎年のことですが「早々にお年賀頂戴して恐縮です。」
by issei_tachikawa | 2012-01-04 10:11 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)
c0219972_16343855.jpg草野忠正さん(写真中列中央)は、戦後の焼け跡から事業を起こし、立川の商店連合会会長まで昇りました。87歳とは思えぬ酒の呑みっぷり、孫に囲まれて幸せそう。国分寺(義父)と数えで同じ。

富士見町のお宅で毎年元旦の夕方から新年会、今年も数えるのが面倒なくらい集まりました。細君の姉様の嫁ぎ先ですからある意味僕にとっては「他人」の家、なのに実家に帰ってきたような気分にひたれるのは何故だろうか?

忠正さんの人望だけ?違うと思う。うまくいえないですが、この家には血縁を超えて人と人をつないでくれる神様がいる。ぼくはここにくるとそのまんまイッセーでいても違和感が無い。周りも受け入れてくれる。(若干1名除いて・・・笑い)そういえば、佐渡野浦の山本さんち(トキ・文弥人形企画でお邪魔した)がそうだったな。去年の中川さんち(わさび栽培農家、山梨県上野原市)もそうだった。

もっと考えるとイッセーの実家、世田谷区岡本の実家周辺も1950年代から60年代前半まではそんな感じで、家と家を隔てる壁が薄く低かった。友達の家に遊びに行く時だって、電話予約なんか不要で、突然おじゃましても受け入れてくれた。ダメならダメででなおした。河原やまちなかで暮らす人などいなかった。

「たすけあい」などというある意味歯の浮く言葉もあまり聞かなかったような気がする。流行る言葉で社会の現状がわかる。孤独死(?)、自殺(4万人に近づく)、宿無し(?)、生活保護(205万人)、職場メンタル、そのうえに震災・津波・原発の被害で命失い、故郷を追われ、帰る展望の無いひとが何万人も出ている社会だから、絆とか言う言葉が流行る。

絆を確かめるために同窓会を呼びかけたり、積極参加したい人の気持ちはわかる。温かな人のつながりを地域で復活させたいものだ。コトバと実行、考えているだけではなくて喋り表現して現実を変えていく。草野さんは商店街を変えた。そして今「㈱HOMY」の2階に「ばくだん畑」(コミカフェ&ホール)をつくり、社長の奥山さんの娘さんらが経営して地域の溜まり場になっている。「たちかわバンド」の演奏、近所の高齢者が楽しみにしている。みんなで歌い踊り話に興じていると人と人を隔てる壁が溶け始める。

ようするにOPENまいんど、草野家なのだ。というわけで忠正さんのツッコミ手酌で何合空けたか?それにしては朝の目覚めはさわやかでした。さーてことしもやるでー!
by issei_tachikawa | 2012-01-03 16:33 | 家族、地域家族 | Comments(0)

新年の御挨拶 

c0219972_1545951.jpg命のはかなさ、重さをひしひしと感じた2011年、「生きていて良かった、今年もよろしく」と言えることだけで幸せです。決して定まることなく永遠に「動的平衡」を繰り返す細胞の動き、人間関係も社会現象も全てが変り行く事実の上に何を変えて何をつくりだすのか、改めて初心に立ち返りて実り多い2012年にしていきたいですね。

今日は家族で神社にお参りし、昼は立川北の公園でささやかなお雑煮パーテイ、ワイナマユの皆さん来てくれて本当にありがとう。さんきゅうハウスの見学も出来てよかったです。

希望とは何か?絶望のどん底から少しでも明かりを見つけられれば、いつかは太陽の下でみんなが笑顔で手を差し伸べあって暮らせる地域が出来ます。ぼくらは特定の考え方で1つにまとまったグループではないので不安や意見の違いも多いのですが、他者に対してやさしくなれることが希望に繋がります。

ハンセン病差別と何十年も戦い抜いてようやく法改正を実現したグループのリーダーいわく、「ようやく法律改正が認められたときに『希望』の意味が実感できました。」と。これは貴重なコトバです。目の前は真っ暗闇、こんなことをいつまでやるのか先が見えない。でもこれからの変化を信じて手を取り合って進む。暮らしやすい地域社会ははるかかなたに「理念」として輝いているのでは有りません。

現状を変えていく運動や事業の中にきらっと光っているものだと思いたいです。「できるだけのことをしたい。」3月11日以降、日本人の多くがそう感じて、ボランテイアや復興事業に係わりました。遠くの災害ではなく、この地域におきているさまざまの課題から眼をそらさないで、みなの力を集めて変えていくこと。何とかしたいから何とかしようへ、やりたいことを見つけて運動や事業にしていく。なせばなるです。

これから草野さんのところで新年会です。今年もよろしくお願いいたします。
◎写真は、今年はじめていただいた「チャンプルーの会(レストラン・サラ)」の御節です。おいしかったよ。
by issei_tachikawa | 2012-01-01 15:45 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)