

■23日に放送「日本政府からの回答を含めて全てを国連に報告する」~色平哲郎さん
日本政府に対して共謀罪(テロ等準備罪)法案への懸念を書簡で伝えた国連特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏が大激怒しました。
ジョセフ氏は5月23日に放送された報道ステーションのインタビューで「日本政府からの回答を含めて全てを国連に報告する」と述べ、今まで以上に強い対応を検討していると言及しています。
日本政府が書簡を無視して抗議したことに激怒しており、国連として正式に共謀罪への抗議を考えるようです。菅官房長官は「特別報告者の個人の考え」と反発していますが、国連も動き出すと状況は大きく変化することになるでしょう。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-16912.html
●「国連人権理事会の特別報告者」とは、菅官房長官が勘違いしているように、単に「個人の資格」でものを言う専門家ではない。
国連人権理事会に任命され、報告義務を負い、個別テーマまたは個々の国について、人権に関する助言を行う、独立した立場の人権の専門家のことを言う、、、
ケナタッチ氏は、得た情報に基づいて法案についての評価を述べた上で、「早まった判断をするつもりはありません」と断った上で、情報の正確性を確かめるための4つの質問を行っている。つまり、指摘に間違いがあれば正して下さいと質問をしているのだ。、、、
「日本政府は、23日にも衆議院で法案を採決する予定と伝えられるが、まず国連からの質問に答え、協議を開始し、そのため衆議院における法案の採決を棚上げにするべきである。そして、国連との対話を通じて、法案の策定作業を一からやり直すべきである。」
https://news.yahoo.co.jp/byline/masanoatsuko/20170522-00071216/
渡辺悦司(市民と科学者の名一部被ばく問題研究会)からの情報です。
「皆さま 南相馬の大山弘一氏からの情報です。
「黒い物質」(大山氏は「黒い物体」と名付けておられます)への警戒を解かないで続けてください、関心をもって研究も続けてください、とのことです。
大山氏によれば、東京の国立博物館の前で、今年(2017年)の4月に「黒い物体」を発見し、採取して、放射能量を測定したところ、何と1万3700ベクレル/kgのセシウム137+134が含まれていたとのことです。
大山氏の住んでおられる南相馬では、35万ベクレル/kgの「黒い物体」が、現在
でも普通に見つかるということです。
地衣類など藻類によって生物濃縮されているものと考えられるとのことです。
生物学の研究者の方に、大山氏らの活動への参加を求めておられるとのことです。
行政も政府側専門家も何の対応も対策も取っていません。それもあって、「みんな知らずに住んでいますが、本当に大変なことです」と、大山氏は述べておられます。
関連するデータを下に、引用しておきます。
「黒い物質」についてのビデオ資料:
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E9%BB%92%E3%81%84%E7%89%A9%E8%B3%AA+%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0&tid=dc2f15898ade629519cd2a531ed800b3&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
大山氏のツイッター投稿:
https://twitter.com/anti_jigokudama/status/852668207181647874
https://twitter.com/anti_jigokudama/status/852525642562260992
https://twitter.com/anti_jigokudama/status/851069878396006400

1988(昭和63)年11月5日 午前5時台に拝島の助産院 金子さんで誕生。父42歳、母28歳
陣痛開始から13時間後。その理由をはっきり説明することは難しいが、なんらかの障がいをもって生まれてきても一緒に生き抜こうという決意をもっていた。生まれて直ぐに近所の助産院で「舌しょう帯短縮症」と診断され、「もしかすると言語に障碍が・・」という説明を受けて手術をすすめられたが従わなかった。今まで何の問題もなく成長している。あの診断は何だったのか?
名前はオレが付けた。光は、稲穂の輝き、子どもの頃の世田谷区岡本の実家に帰るとき、刈入れ前の稲にはイナゴがたくさんいた。日本の農業復活に貢献して欲しいという俺の願いを込めて付けた。光太の生まれたときの感動は別途記録した。(イッセーブログ20100730)抱っこして子守唄(グリーンスリーブズの口笛)をしてあげた。お風呂だって毎日いっしょだった。
・ ○才時、初めて外を歩かせた。芋窪街道に向かってヨチヨチ歩む後ろから、順子と一緒に応援して歩いた。
小学生の頃、てっちゃん(玉川上水の呑み屋)からチャリで帰る途中、進吾とオレは平気で畑道を近道するのだが、彼は決して同調せずに、吉沢商店方向から回り道で帰るのだった。(転調)イッセーの父は二子玉川小学校PTA会長、運動会の壇上で「二子玉川小学校バンザーイ」する際に、帽子をつかんでやる。頭つんつるてんだからあちこちでクスクス笑うやつがいる。感情の襞までは良く覚えていないが、そうとう恥ずかしかった、だろ?と思う。俺も柏小のPTA会長を3年、副を1年、都合4年間やって、入学式、卒業式、映画会などの挨拶には気の効いた話を考えて、パフォーマンスも目立っていた。例えば、野茂英雄が大リーグを選んだ理由と中学校生活、木とお話ができる、オオキクナーレなど。自分では良かれと思ってやったことが、光太にとってはこの上なく恥ずかしいことになり、友達からからかわれるなどのプレシャーを与えていたのだということに気づいたのは相当後のこと。ごめんねコウタ。
中学生のころ書いた文書 ペシミズム、鋭い社会批判の視点あり。高史明(コサミヨン)の長男はたくさんの詩を残して自殺してしまった。少し心配で不安。 昭和第一学園高校でバスケに熱中し始めて、玉川大学農学部(バイオ専攻)でも継続、武蔵小杉までおかあと観戦にいった。かっこよかった。
大学2年から、皿洗い、洗濯物干しや取り込みも率先してやってくれるようになった。
サービス事業部から建築士相手の講演で何を話せばよいのか迷っていたら、夜、外で相談に乗ってくれた。「思い通りに喋ればいい。」という適切なアドバイスだった。
人のことを優先的に考えるのはさすが長男。例、真理恵ちゃん連れて風船のお礼に(○才のころファミレスで)国分寺にも時々1人で顔を出す。ありがとね。
・こういう性格なので、トモダチが良く遊びにきた。近くのスギ、イナミ、武蔵野市に引っ越した田中くん、
駅のホームで「オトウ!」と呼びかけられて、ビックリして振り向くとイナミだったりする。俺としては地域で(此の地で)生きていて良かったという実感をもてるので嬉しいひと時だが光太はどうであろうか?
就職活動では苦労したが見事に就職し今に至る。飯炊き、味噌汁、漬物からだ。男が食で自立できれば女も幸せになれるぜ。たまには帰って来いよ。てっちゃん20周年は、6月25日だぜ。ロバの音楽座だよ。

鶏さんにもありがとう・・・。
30回めの大会ですが、北は北海道、南は沖縄まで、たくさんの仲間が1年に1回の出会いを楽しみました。「今年で来年は最後かもね。」というセリフは、ひとによっては冗談でなくなる。でも平気で口走る人も。
今年もいろんな人とお久しぶりの出会いを満喫しました。元東邦大Bの男性、休止中のエクぺ、57歳にして5時間半でフルマラソン完走した女性、社労士で活躍するSさん、そして駆け込み亭主人などなど。
お天気にも恵まれましたね。あつからず、さむからず、いいかげんで。
来年はこのメンバーなら1時間申告でいけるな。この駅伝は、速さを競うものではありません。8.5kmを何時間何分で完走するかを申告して、ゴール時刻が申告時刻に近いほど成績が上がるので、電動車いすの方でも優勝可能なのです。
競争社会にモノ申して、安倍を倒す、俺の願いです。気持ちが良いから参加する。おいしいものを担べて呑みたいものをのんで、ラストはボケさんの雑草音頭にあわせた盆踊りで盛り上がりました。

思い切って、チャンプルーの会(レストランサラ)のオードブル、たのんじゃいました。ですが、自慢の手料理や呑みたいお酒(ワインあるといいなー)持ち込み大歓迎であります。
駐車場は1台分しかないので、なるべく電車でおねがいしたいですが、どうしてもという方は事前に連絡くださいね。
かっての本部事務所電話番号、042-535-1101だったけ、みごとでいいわいたちかわせーきょーだったな。たかし&たつや&きむらなんかは、4万円ではたらいてたんだからな、よくやったよ。こんなんなるとは夢にも・・だな。
わいわいがやがや、やりませう。

「いっせーさんおとなー。」てよっちゃんからいわれたのが2001ねんくらいかなー。あの頃の総務は楽しかったよ。
いとうちゃん(万年課長)、イッセー(蔓延係長)、よっちゃん(万年主任)そして、今は平だがやがてはよならよのでんこさん、しがゆう、かまたん、たぶんパル連の歴史祥久といえども総務の力量この時期を超えることは、あってほしいがなかなかむづかしい鴨。
子ども性って大切にしたいよな。要は直接性、直球勝負ってことにつながる。空気?よめるはずないやろ、空気のありがたさなんてのひは、酸欠になってみないと実感できんのや。
突然ですが、「生きてるっていってみろ!」叫んでくれ。
友川カズキ(のぞきてんじ)とデアッテ、あっというまに1か月だ、布団にもぐりながら、ふとんをけりながら「夢のラップ」をいくつでもうたってやる。
「このままでいいの、いつまでこんなことやってるの?」つっこまれるのがいやで、アパートに帰れない。幸せそうな子供たちに乾杯、不幸せな子どもたちにも祝福を!
腰には、汚れた手拭いがぶらぶらしております。
来週、新しいバンドが立ち上がります。名前は・・・ぱちゃままにしようかな。
10歳までは夢の中、M.シュタイナー、S.ゲゼル、M.ゲルソン、こんなにすげーひとたちを生み出したドイツで、反ユダヤのヒトラーが政権を奪取した。
こういうことがあったんだという事実のまえに、おれたちの「子ども性」は、いかなる反撃を組織できるのか?次の「共謀罪」粉砕スタンデイングは、5月9日(火)1時から2時半まで、JR中央線立川駅北口「空中都市」(デッキ)でやります。
子どもの日まんせー!

一回も島国日本は外国軍隊に侵略占領されたことはない。ここを押さえる必要がある。なんでやねん?その価値がないからというのと、侵略ばかりしてきたという事実が浮き彫りになる。
ただし、まちがってはいけない。『なぜ日本人は戦争を選んだのか?』という本は、解釈が無塚志位野田。仕向けた総責任者は誰なのさという話が大切。
そこで森友学園ですが、あの話どこさいってしまったんだい?8億数千万円も値引きされた国有地の裏交渉、「記録がない」ですって!財務省の責任は重いですよ。これは実に明白な証拠隠滅という犯罪です。
2015年9月18日、何の日ですか?今日立川駅でお話ししていたら、わからない表情の人がたくさんいました。これがやばいんです。無関心⇒忘却⇒内閣独走⇒いつの間にかファシズムになりかねません。
話脱線しますが、先週金曜日の横浜スタジアム、試合開始前に「きみがよ」が流れる。「観客全員」起立!僕ら2人だけがすわったまま。周りから白い目が…と意識しすぎで自分も立ってしまいがち。
ぼくらはまけません。最後まで座ったまま、だっていやなものはいやなんですから。これが大事な主張をつくる原点なのです。
今回の『共謀罪』、大臣答弁あきれます。もうぼろぼろ、安全保障法制(戦争法)もそうでした。集団的自衛権の正当化(必要性)の説明根拠、最初は「ホルムズ海峡の機雷掃討」(この字でよいのか?ですが)だった。イランが北米接近したのでそれが無意味になったら、こんどは火事場の力持ち論、そして麻生と安部が渋谷の道玄坂で愚連隊におそわれたときの論理がでてきた。いやはやでしたね。
でもいままた、3回も廃案になった「共謀罪」が強行採決されようとしています。
今時の戦争は、宣戦布告無し、正規軍ではなくてゲリラ戦が多い、ということは敵味方が区別できない。これは現場の兵隊にとってはとんでもなく恐ろしいことです。
戦争はどんなに理由をつけても、それで得する人々の利害で決まります。軍需産業、石油利権、大銀行大商社、ベトナム戦争でおおもうけしたヨツビシ、永遠に見つからないイラクの「大量殺りく兵器」のために反対するだけでも「共謀罪」が適用されかねない。絶対廃案しかありません。来週は火曜日の1時から、立川駅北口駅前でスタンディングします。